下鴨神社・糺ノ森

2009年02月06日
葵祭で有名な、下鴨神社(京都府京都市左京区下鴨泉川町)です。
下鴨神社
文久3年3月11日の賀茂両社への行幸は、寛永3年、後水尾天皇の二条城行幸以来237年ぶりの盛儀でした。
沿道は行列拝観の人々で満ちたそうです。

孝明天皇は下鴨御拝の後、昼の御膳を召され、将軍に御膳・天盃下賜の後、行幸の列は上賀茂に向かいました。

下鴨神社は、正式名称「賀茂御祖神社」といいます。
上賀茂神社の祭神である賀茂別雷命の母の玉依姫命と、玉依姫命の父の賀茂建角身命を祀っています。
八咫烏は賀茂建角身命の化身。

糺の森
葵祭の前儀の中でも流鏑馬神事が有名です。
糺ノ森の真中にある全長500メートルの馬場を、公家風の装束姿や武家風の狩装束姿の射手たちが疾走する馬上から、3つの的を射抜くというものです。

射手のかけ声「イン、ヨー」とは「陰陽」のことで、みごと矢が的中すれば五穀は稔り、諸願は成就すると言い伝えられています。
文亀2年に中絶しましたが、昭和48年、下鴨神社式年遷宮の記念行事として復活しました。

また、
みたらし団子は、京都市左京区下鴨の加茂みたらし茶屋が発祥で、下鴨神社境内にある御手洗池の水泡を模して、この団子がつくられたといわれています。
加茂みたらし茶屋では5個の団子を串に刺し、あぶり焼きにして焼き目を付け、砂糖醤油の葛餡をかけて出しています。
この団子には特徴があり、一番上の団子が少し大きく、連続している他の4個の団子と距離が置かれて刺さっています。
これは、串に刺さった団子を人間の体に模しているためで、一番上は頭、残りの4個は四肢を表しています。(前述の水泡が沸いた様を表しているという説もあります)
写真でみる維新の京都&Wikipediaより


京阪電鉄や叡山電鉄出町柳駅から河合橋を渡ると、下鴨神社です。
木々が生い茂る糺ノ森は、神域の中を歩いていると思わせてくれます。
さらに奥に進んでいくと、ますます神聖な雰囲気がただよっています。

天皇の行幸としての下鴨神社より、葵祭の下鴨神社ですね。
葵祭は是非一度見てみたいと思うのですが、なかなかチャンスがないです。
京都三大祭では、時代祭だけ行った事があります。

祇園祭は池田屋事件の舞台で出てきますが、葵祭は幕末史の中で出てきませんよね。
時代祭は明治維新後ですから、当時は行われていません。
葵祭は源氏物語にも出てくるのですから、幕末当時は当然あったはずです。
新選組のメンバーや、志士といわれる人たちは見なかったのでしょうか?

もしかして祗園祭が庶民の祭りで、葵祭は賀茂社と貴族の祭りといわれているので、庶民の目の届かないところで、ひっそりと行われていたのでしょうか?
お祭というものが、幕末と現在とでは行われ方も変化しているのかもしれません。


京都市 加茂みたらし茶屋
京都三大祭
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