山崎闇斎顕彰之碑

2009年02月03日
江戸前期の儒者・朱子学者・神道家・思想家、山崎闇斎の顕彰碑(京都府京都市中京区寺町通丸太町下ル下御霊神社内)です。
山崎闇斎顕彰碑
山崎闇斎は、名は嘉、字は敬義、通称嘉右衛門。闇斎は号、霊社号は垂加霊社。

京都で浪人の子として生まれ、幼くして比叡山に入り、ついで妙心寺に移って僧となりました。
19歳のころ土佐の吸江寺に移り、湘南宗化の弟子となりました。
土佐南学派の谷時中から朱子学の手ほどきを受け、また野中兼山や小倉三省らとの交わりのなかで、朱子学への傾倒を深め、寛永19年に還俗して儒者となりました。

寛文5年、会津藩主保科正之に迎えられ、藩政への助言者として活躍します。
領内の寺院・神社の整理をおこない、神仏習合を排除。
また吉川惟足の影響で、神道研究にも本格的に取り組むようになります。

闇斎の提唱した朱子学を、崎門学または闇斎学といいます。
従来の神道と儒学を統合して、垂加神道を開きました。
その思想は湯武放伐を否定した点にあり、水戸学・国学などとともに、幕末の尊王攘夷思想に大きな影響を与えました。

門人には、佐藤直方・浅見絅斎・三宅尚斎・植田艮背・遊佐木斎・谷秦山・正親町公通・出雲路敬直たちがいます。
闇斎学の系統を「崎門学派」という。

山崎闇斎は、人間の心(心神)は、即ち天神と同源であり同一であるとの思想から、自らの心神を自宅の祠に祀りました。
社名は、闇斎の霊社号と同じ、垂加霊社。
のちに下御霊神社の境内に遷座して、猿田彦神社に合祀され、現存しています。

墓は、京都市左京区黒谷の金戒光明寺にある
 (2008年4月12日 黒谷墓地参照して下さい)
Wikipediaより

横井小楠殉節之地より南へ30mにある、下御霊神社内にあります。
下御霊神社は川原寺で憤死した伊予親王とその母の霊を祀ってあります。
“御霊信仰”(*!)と聞いていたので、私の勝手な思い込みで、怖い場所だと思っていました。
よく考えれば、学問の神様として1度は縋ったことがある、菅原道真・天神様も御霊信仰から始まっていますね。

で、山崎闇斎は御霊信仰とどう関係しているのか…。
山崎闇斎の提唱した「闇斎学」がよくわかりません。
「人間の心は、即ち天神と同源であり同一」?????
わからないな~。
私は、維新の志士にはなれないってことですね。

いいや、新選組に入隊するから!!

(*1)
御霊信仰
とは、人々を脅かすような天災や疫病の発生を、怨みを持って死んだり非業の死を遂げた人間の「怨霊」のしわざと見なして畏怖し、これを鎮めて「御霊」とすることにより祟りを免れ、平穏と繁栄を実現しようとする日本の信仰のことです。


御霊信仰
垂加神道
関連記事
Comment

管理者のみに表示