水戸藩邸跡

2009年01月21日
京都御苑の蛤御門の西が、水戸藩邸跡(京都府京都市上京区烏丸通下長者町西入ル)です。
水戸藩邸跡2  水戸藩邸跡1
        下長者町通にある“水戸藩邸跡”の碑

土御門烏丸邸跡3  土御門烏丸邸跡1
烏丸通(京都ガーデンパレス入口付近)にある“土御門烏丸邸跡”の碑

徳川御三家の1つ水戸家は、幕末に斉昭の子一橋慶喜と紀州の慶福の将軍継承問題で紛争の渦中に入りました。
折からの通商条約勅許について、一橋派は朝廷に接近し、尊攘論者は水戸藩の力で幕府の非政を正そうと計り、水戸藩への賜勅運動が起きました。
一方井伊直弼の専横を問責した斉昭は隠居謹慎、当主慶篤は登城停止を命じられました。
やがて安政5年8月8日、密勅は下りましたが、実効を表わさぬ中に、井伊の手による大獄の大弾圧が開始されました。
写真でみる維新の京都より

平安在京一条三坊九町にあたるこの地(北は上長者町通、南は下長者町通、東は烏丸通、西は室町通)は、10世紀頃に村上天皇の皇子・具平親王の邸宅が造営されました。
12世紀に至って、曾孫源師時の邸宅・土御門第となりました。
白河院近衛の権勢者、藤原顕隆を買得して内裏を模した最初の里内裏を営み、鳥羽天皇から崇徳・近衛と続く3代、24年もの間、天皇の御所となりました。
この里内裏も保元元年の乱によって廃絶しました。

鎌倉時代には清浄華院
(2008年11月6日の記事参照)が移ってきましたが、豊臣秀吉により寺町に移され、その後には黄金塗瓦葺きの大名屋敷が建ち並んだものの、これも秀吉の伏見城造営に際して伏見に移りました。

寛永12年になって、水戸藩邸が営まれましたが、幕末の文久4年烏丸通を挟んだ東向かいにある蛤御門で起こった戦火により全焼しました。
現存する水戸彰考館所蔵史料の多くはこの藩邸で蒐集されたものです。

明治時代に入って、転々と所有者が変わりました。
説明板より


京都市営地下鉄烏丸線丸太町駅から烏丸通を600m北へ行くか、今出川駅から烏丸通を南へ700m行くかが早いでしょうか。
京都御苑・京都御所へ来た時に寄られるのもいいと思います。

御所の目の前です。
各藩の思想により、藩邸がある位置も変わってくるのでしょうか。
思想だけではなく、財力などにもよると思いますが…。

京都ガーデンパレスとKBS京都放送を合わせたものが、水戸藩邸の広さだったようです。
長州藩邸より広いかもしれません。
今は碑があるだけです。
門がどこかに移築されているなどがあればいいのですが、そういう話も聞いていません。

水戸といえば、水戸天狗党、芹沢鴨、新見錦などです。
が、どうしても思い浮かべるのが、“水戸黄門”“水戸光圀”です。
時代は全く違いますが、一番の有名人ですよね。
この地が水戸藩邸として使われたのも、幕末からなので、光圀とは全く無縁の地です。

幕末の水戸藩はあまり表に出てきません。
しかし慶喜の将軍継承問題が、幕末維新の重要問題の一つであったことからすると、表立って目立ちはしませんが、一番重要な場所にいた藩であるともいえるかもしれません。


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源師時 土御門
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