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三条大橋

2009年01月19日
秀吉の命令で架けられた三条大橋(京都府京都市中京区・東山区三条通鴨川)です。
三条大橋1
天正18年に、秀吉の命令で架けられた三条大橋は、擬宝珠にその由来を記しています。
東詰に彦九郎像があり、東西詰の旅館街は、東海道の起点として、賑わいを見せています。

幕末の事件の多くがこの界隈で起きました。
慶応4年4月、板橋で斬首された近藤勇の首は今日へ運ばれて、閏4月初旬に三条大橋下の河原に梟首されました。

またそれ以前にの文久3年2月23日早朝、等持院から引き抜いてきた足利三代の首を、三条河原の下手に台上に並べ、
「逆賊足利の像に天誅を加えた」という立札が添えてありました。
折りしも上洛途中の将軍への当てつけで、犯人の志士等は、仲間に会津の密偵大場恭平がいたため、たちまち捕えられたものが多かったです。
写真でみる維新の京都より


京阪電鉄三条駅や京都市営地下鉄三条京阪駅を降り、地上に出たすぐのところです。

この橋が最初に架けられたのは秀吉の命令なのですね。
三条大橋には、刀傷が残っています。
探せば、「これかな?」と思うようなものは、見つける事が出来ました。
ただその時、カメラを持っていなかったので、写真が撮れませんでした。
それと観光シーズンに行くと、写真を撮る為に止まると迷惑になりそうなほど人が歩いています。

この河原に近藤勇の首が晒されました。
栄枯盛衰
京で恐れられた近藤勇が、その京で首を晒される…。
激動の時代だったと、改めて思い知らされます。

板橋で斬首された首は、数日かけて京まで運ばれたので、どんなことになっていたのでしょうか?
今のように、保存する技術も、交通手段も発達していない当時は、あっという間に異臭を放っていたのではないですか?
京に住む人々は、晒し首などやはり興味津々で見に出かけたの。

古写真で処刑された3人の男性の晒し首を見たことがあります。
あんな風に近藤勇の首の写真が残っていたら…。
残酷ですが、私はきっと見ていると思います。


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(2002/10)
山と渓谷社大阪支局

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