豊後屋跡

2009年01月16日
豊後屋跡(京都府京都市東山区三条大橋東入ル南側)です。
豊後屋跡
文久3年3月18日朝、豊後屋旅館に突然やって来た6、7名の武士は、3人の僧を捕えようとしました。
1人は逃げ出し、2人を縄で結わえて、三条大橋下手の河原につれて行き、首を打ち落としてしまいました。僧は水戸の東清寺の正惇(34歳)と光惇(28歳)でした。
淡路出身の古東領左衛門が、藤本鉄石の指示で探索したところ、主上調伏と義士の廃去を祈る修法をしていたといいます。

豊後屋に踏み込んだのは、古東のほか土佐の能勢達太郎、北添佶摩、勝部静男、岡田以蔵らでした。

3月21日に、三条大橋西詰の高札場に、天下義士の名で奸僧二名を天誅に処したとの貼紙が掲げられていました。
正惇、光惇の遺骸は、三条大橋東畔の檀王法林寺内の墓地へ、何人かによって葬られました。
写真でみる維新の京都より


京阪電鉄や京都市営地下鉄の三条駅を上った辺り、東側の車の往来の激しい交差点のほぼ中央にある、下水孔蓋辺りにあったそうです。
交差点のど真ん中あたりでしょうか?

岡田以蔵が関係した場所というので、ワクワクしながら行きましたが、あまりの交通量の多さに写真をじっくり撮ることも出来ませんでした。
早朝に行くべきですね。

文久3年3月といえば、新選組という名前が歴史に初めて登場した頃です。
岡田以蔵はもう天誅・暗殺を行っていたのですね。

2人の僧は本当に修法をしていのでしょうか?
違うことをしていても、強引に話をこじつけて襲うこともありの時代だったのではないでしょうか?
今回は襲撃側でも、明日は我が身だったはずです。
僧といえば、品行方正、清廉潔白、穏やかで争いを好まず、と思いがちですが、そうではないですね。
幕末以前の歴史でも、徳川家康のブレーンとして有名な天海僧正や、さらに以前には道鏡など(伝わる真偽は分かりかねますが)、権力の近くにいた僧は多いです。
この正惇・光惇が狙われるほどの人物だったのかは、私は掴み切れていませんが、僧だとて安心できないという事ですね。


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