角倉了以邸跡

2009年01月13日
大村益次郎遭難之地を越えて北に向かうと、高瀬川一の舟入と書かれた石碑の近くに角倉了以邸跡(京都府京都市中京区河原町通二条下ル東側)があります。
角倉了以邸跡
角倉了以は、吉田光好といい、江戸初期の豪商で嵯峨を本拠として、朱印船貿易、河川疎通事業、鉱山開発等に成果を上げました。

彼と息子素庵の完成した高瀬川の起点、二条木屋町の傍らに広大な屋敷を構え、代々役宅として使用していました。
維新後は府の所有となり、英語学校・織殿・画学校などが設けられました。
これらが移転・廃止された後、明治16年、民間に払い下げられ、現在は日本銀行と銀行会館が建っています。
写真でみる維新の京都より

大村益次郎遭難之地を越えて、約60mの所に高瀬川が分岐している場所があります。
そこが高瀬川一の舟入の碑の場所で、その横の広い土地が角倉邸跡です。

私が訪れた時は、その道を挟んだ向かい側の“がんこ”の前に、角倉邸跡の碑がありました。
実際ここは、“樋ノ口屋敷”だそうです。
写真は樋ノ口屋敷前に建つ、角倉邸跡の碑になりますね。

高瀬川といえば…。
森鴎外の「高瀬川」を思い浮かべませんか?
高校生ぐらいの頃に読んだ記憶はありますが、内容はハッキリと思い出せません。
ただ高瀬川をいく舟に、船頭さんと男と主人公の3人が乗っている絵を見た記憶があります。
そんな話だったような…。
その話の舞台が、この高瀬川です。
舟を浮かべるだけの水量がないようなのですが、これは当時と今との違いでしょうか?

この先、この“がんこ”の北隣が、神山左多衛郡廉邸跡になります。
さらにその北側(神山邸前)が、島田左近殺害の地善導寺があります。


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