加賀藩邸跡

2009年01月10日
現在の御池通がちょうど加賀藩邸跡(京都府京都市中京区河原町通御池下ル東側)になります。
加賀藩邸跡  何藩邸?
加賀藩世子慶寧とその周辺は勤王派でしたが、禁門の変に際し、世子は幽閉され勤王党は処断されました。
藩主斉泰の夫人が家斉の娘であったため、藩論は佐幕派に統一されました。

慶応2年慶寧は藩主となり、鳥羽伏見の戦いにも出兵しましたが、幕軍の敗北を知り引き返しました。
戊辰戦には官軍につき、北越で戦いました。

江戸初期以来の京邸は天明8年焼失し、再築後、維新には上地されました。
槙村知事邸など所有者が変わり、太平洋戦争末期には一帯が建物疎開となり、御池通の一部となりました。
写真でみる維新の京都より


木屋町通をさらに北に歩きます。
御池通に出る手前に、1枚目の写真のような碑が建っています。
しかし実際は、現在の御池通の幅すべてが藩邸だったようです。

そうなると、御池通は幕末当時と全然ちがうのですね。
当時ここには、道が無かったのです。
新選組も歩いていなかったというのですね。
そうか…、現在の御池通に新選組の足跡はないのですね…。


加賀風雲録―前田家の幕末維新 (中公文庫)加賀風雲録―前田家の幕末維新 (中公文庫)
(2001/10)
戸部 新十郎

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兼六園
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