宇喜多一寓居跡

2009年01月09日
吉村寅太郎寓居跡、武市半平太寓居跡の隣が、宇喜多一寓居跡(京都府京都市中京区木屋町通三条上ル)です。
宇喜多一寓居跡
安政の末年に宇喜多父子の住んだ所がこのあたりでした。

宇喜多(浮田)一は、尊王派の画家です。
京都生まれで、姓は豊臣、名は公信、のち可為と改めました。一は号。
田中納言に土佐派を学び、のち藤原信実に則りました。
和歌、書にも通じていました。
気節を尊び性質は豪快で、勤王の志が厚く、安政元年の京都御所炎上・造営のさい、画院の寄人に召出され、西対屋に烈女伝の図を描きました。

梁川星巌、頼三樹三郎ら志士と交わり、後半生は山陽の住んだ三本木の家を借り国事に奔走するようになりました。
アメリカ艦が来航し、幕府の外交に憤慨し、画をこう人には「神風夷艦を覆す図」などを描きました。
またしばしば朝廷に献策して士気を鼓舞しました。

安政の大獄がおこると、子可成とともに捕えられ江戸の獄に繋がれました。
翌年赦されて帰洛しましたが、囚中に瘡を患い、安政6年11月14日65歳で病没しました。

好んで王朝古典に画材をとり、復古大和絵を標榜して画壇に刷新の気風をおこしました。
写真でみる維新の京都&幕末維新人名事典より


吉村寅太郎寓居、武市半平太寓居跡の北隣りにあります。
その場所を示す碑などはありません。
ビルなどに埋もれるように、入口があります。
ついつい通り過ごしてしまいそうです。

宇喜多一という画家の名前は初めて聞きました。
絵も拝見したことがありません。
目にしていても、気付いていなだけでしょうか?
京都御所にも描いているようですね。
機会があれば、一度絵を見てみたいです。


宇喜多一
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