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武市半平太寓居跡

2009年01月08日
吉村寅太郎寓居跡の隣が、武市半平太寓居跡(京都府京都市中京区木屋町通三条上ル東側)です。
武市半平太寓居跡1  武市半平太寓居跡丹虎1
文久2年4月、参政吉田東洋を暗殺させ、藩論を一変し、藩主豊範に従って入京、ここ丹虎旅館に住んで応接役として各藩士と交わりました。

10月勅使三条実美・姉小路公知の供をして江戸に下りました。

文久3年正月、京都留守居役となりますが、8月の政変以来藩の勤王派は弾圧され、武市も9月に土佐で投獄され、慶応元年閏5月11日、切腹を命じられました。
写真でみる維新の京都より


吉村寅太郎寓居の隣です。

金茶寮とかかっている入口から中を覗くと、細い路地(?)が奥に続いています。
“鰻の寝床”という言葉がピッタリです。
武市半平太もこんな細い路地を入って行ったのでしょう。
でもここで襲われたら、刀を抜くことは不可能ではないでしょうか?

建物の中で襲撃にあったら、おそらくは鴨川に抜けれる道があったと思います。

池田屋事件の時、土方隊は丹虎(四国屋)で集結しているとの情報があって、ここに踏み込んだという話があります。
しかしその記録はありません。
「西国屋」に御用改めを行った記録があるので、そちらと間違って後世に伝わった可能性もあります。
西国屋は三条通を挟んで池田屋の西側にありました。

確かに丹虎は武市半平太の寓居ですから、いろいろな人が出入りしていて、御用改めをした可能性もゼロではないようです。
池田屋の時に新選組が来たのではないとしても、きっと1度や2度は来ているのではないでしょうか。
中に入らなくても、入口で様子を窺うことぐらいはしているはずです。

私も同じように、様子を窺わせてもらいました。
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