一力亭

2009年01月07日
「仮名手本忠臣蔵」などで有名な、一力亭(京都府京都市東山区祗園町南側・四条通花見小路角)です。
一力亭
一力とは、「万」という字を“一”と“力”に分けたもので、本来は万亭・万屋・万春楼といいました。
祗園では古い格式ある茶屋で、「赤前垂れ」の店と呼ばれ、正装には赤前垂れをつけます。
大石内蔵助が遊興したと伝えられています。
しかし茶屋株30軒の許可を受け、正式に茶汲み女・茶立て女を置いたのは享保17年で、さらに遊女が許可されたのは寛政2年であり、大石内蔵助は遊興する事は出来なかったはずです。
大石は山科の閑居から、伏見の撞木町に通っていたそうです。

一力亭の入口は、もとは四条通に面していましたが、大正4年、市電開通により花見小路側に変わりました。

文久3年の八月十八日の政変以来、佐幕派の会合(会・肥・薩などの周旋方)が日夜、料亭などで開かれました。
この年の10月10日の夕、一力亭の会合で、出席した近藤勇は意見を求められて、一席ぶったことがありました。
近藤の意見は、朝幕一致して攘夷を行おうという論であったといいます。
新選組史跡事典より


阪急電鉄河原町駅や京阪電鉄祇園四条駅から、八坂神社に向かって歩いていると、南側(右)に赤い壁の建物が見えてきます。
そこが一力亭です。
大きな(広い)建物で、壁が赤いので見落とすことはないです。
この花見小路沿いには、たくさんのお茶屋さんが並んでいます。

正直、ここで近藤勇が会合に出席したのが信じられませんでした。
今では格式ある店で、一見さんお断りです。
そんなお店に近藤勇が上って、諸藩の周旋方と会合…。
新選組ファンの私でも、信じられない感じです。

確かに新選組は大きな仕事をして来ていますが、やはり生粋の武士ではないです。
各藩を代表して来ている武士が、近藤の意見をどれだけ真剣に聞いていたのか疑問です。

もし万が一、私が一力亭に上れるチャンスがあったとしても
  ↑ 100%無いといえますが(笑)
格式が高すぎて、何も楽しめないままに終わってしまうでしょうね。

近藤勇は、自分の意見を発することが重要だったでしょうから、楽しむということには拘っていなかったのでしょうね。


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