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天球院-妙心寺塔頭 壱

2009年01月17日
妙心寺にも多くの塔頭があります。
その一つ天球院(京都府京都市右京区花園妙心寺町)です。
天球院
文久3年春、将軍が上洛とともに入京した諸藩の宿舎として、各寺院が当てられました。
天球院は岡山鴨方藩・池田政詮の宿舎となりました。
また山国隊士・北小路万之介(滞京中病死)の墓があります。
写真でみる維新の京都より


JR山陰本線花園駅から丸太町通を北(駅を出て右方向)に300m少しで南総門です。
または、京福電鉄北野線竜安寺道駅から南へまっすぐに、200mで北総門に着きます。
境内には40近くの塔頭があるのではないでしょうか?

妙心寺は花園上皇の発願で、離宮が禅苑となった臨済宗の大本山だそうです。

天球院は北総門を入ってすぐの、右(東)側にあります。
塔頭は拝観拒絶とされているところが多いです。
なので今回の塔頭巡りも、門前までと決めていたので、どの塔頭がどうであったのか覚えていません。ごめんなさい。

岡山藩の9代藩主・茂政は徳川慶喜が実兄で、倒幕派とはならず病と称し隠居しました。
代わって支藩・鴨方藩主・政詮(岡山藩主となり章政と改める)を明治元年に藩主に据え倒幕派になったそうです。

鴨方藩主が岡山藩主となったのは、明治元年ですので、この天球院に入った時はまだ鴨方藩主だったということですね。
幕末までの歴史は、人間関係がすごく複雑だったりします。
特に、戦国や幕末は時々、誰と誰どういう関係だったかわからなくなったりします。
現在も、いろいろとあるのでしょうが、耳にする事もないですからね…。

山国隊士・北小路万之介は京都で亡くなったのなら、山国地区まで送って行くことはできなかったのでしょうか?
山を越えて…といっても、同じ京都ですからね。
京で亡くなって(処刑されて)、故郷まで遺体を運んだという事も聞きます。
無理ではないと思うのです。
やはり、藩で重要ポストの人物でないと、それだけの手間隙をかけられないという事でしょうか。


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