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翠紅館跡-料亭大和

2008年12月26日
青龍寺の並び、東へ200mの場所に、翠紅館跡(京都府京都市東山区高台寺桝屋町)の料亭大和があります。
翠紅館跡
文久3年正月27日、翠紅館内、送陽亭に長州はじめ尊攘派の志士たちが集まり、将軍家茂に対して、攘夷期限を決定せよとの要望書を呈出しよううと、会議を開きました。

さらに洛中において、攘夷倒幕派のリーダーとなった長州藩の志士たちは、加茂・石清水への行幸の後、いよいよ討幕御親征の機は近づいたと、大和・伊勢への行幸とともに大号令を発して頂こうと、同年6月17日、長州・土佐・肥後などの志士たちは再び翠紅館に集まり、夜を徹して会議を開きました。
写真でみる維新の京都より


青龍寺と200mしか離れていません。
霊山墓地(坂本龍馬・中岡慎太郎・木戸孝允らの墓や、440余りの墓・碑があります)へ向かう、急な坂道の入口にあります。

ここで長州の人たちが集まって会議をしました。
今は高級料亭のようで、気軽に会議は出来なさそうです。
当時の翠紅館はどのような格だったのでしょう?

今の政治かも、高級料亭で会合や密談(?)をしてますし、某御曹司はホテルの会員制バーが安いと言っていますし、当時の志士も高級料亭で会合でしょうか?

でもそれは嫌ですね~。
幕末の頃の志士は、下から這い上がって来た人も多いですから、贅沢三昧というのはイメージが崩れます。
庶民程度まで質を落とせとはいいませんが、それなりに質素倹約(当時ですから、そういう場所で遊ぶのは横に置いておきましょう。)でいて欲しいです。
料亭で会合とか言って、高級料理ばかりを食べてブクブクは嫌です。
いくら新選組からみたら敵でも、美しくあって欲しいです。

この付近は、勤王派がよく利用したいようですね。
噲々堂、青龍寺、翠紅館、月真院と勤王派が中心です。
新選組は市中見廻で来ていたのでしょう。
勤王派が多い場所に行くときは、やはり緊張したのでしょうか?
一発即発の可能性もあるわけですから。
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