何遠亭跡−高田公園

2008年12月13日
高田公園内にある何遠亭跡(山口県山口市湯田温泉2−5)です。
何遠亭3211
長州に逃れた七卿は三田尻から興隆寺へと移り、さらに湯田温泉の町に住みました。
このうち三条実美は井上馨邸の一隅に住み、そこを「何遠亭(かえんてい)」と名付けていました。
現在の高田公園です。

何遠亭と名付けたのは、常陸笠間藩の加藤桜老です。
桜老は文久3年に山口に下り、下金古曽に「詠帰塾」という私塾を開いた人です。
「何遠亭」は論語「いずくんぞ遠きことこれあらん」からとった言葉です。

三条実美は後に大宰府に移り、王政復古の際に京都へ戻り、岩倉具視とともに国政の中心になりました。

また他の七卿も近くに住んでいました。
東久世通禧と四条隆謌は湯田の龍泉寺に、三条西季知と壬生基修は草刈屋敷に滞在していました。
湯田温泉 観光ガイドブックより


※2008年7月10日の「七卿の碑−高田公園」もどうぞご覧下さい。

七卿落ちで、彼らが長州に下ったという事は知っていました。
しかし七卿に関してはそこまでで、長州のどこに辿り着いたのかは興味も持っていませんでした。
今回、井上馨生家跡を訪ねて、初めてここに来たのかと知りました。

そうですよね。
仮にも公家ですから、それなりの場所に行きますね。
井上聞多が萩生まれでなかったのも驚きましたが、七卿がここに居たのにも驚きました。

“落ちた”という響きで、もっと大変で苦労しているかと思っていました。
「何遠亭」という名前をつけるほどの優雅(?)な暮らしをしていようですね。
もちろん京に居たときほどの暮らしは無理でも、暮らしに困ることはなさそうです。
精神的には辛かったでしょうが…。


萩・津和野・山口―今日から土地の人 よくきたね、土塀の上から夏みかん (ブルーガイドニッポン)萩・津和野・山口―今日から土地の人 よくきたね、土塀の上から夏みかん (ブルーガイドニッポン)
(2002/10)
ブルーガイドニッポン編集部

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