明倫館 観徳門

2008年12月11日
明倫小学校が明倫館跡で、観徳門(山口県萩市大字江向)が道路に面して残ってます。
明倫小学校
有能な人材を育成することを目的として、毛利家家臣の子弟教育のために造られた藩校です。
享保3年堀内に設置され、嘉永2年に城下の中心地へと移転、規模を拡大しました。

約1万5千坪の敷地内に、宣聖殿(聖廟)を中心に、西側に小学舎、手習所など学問習得のための建物、東側には槍場、撃剣場、射術場などの武芸修練場、後方には水練池、北方には約3千坪の練兵場が設けられていました。

文久3年以降は、足軽などの下士も入学でき、約1,000名以上もの生徒が学び、明倫館が幕末の長州藩の中で果たした役割は大きいです。
現在は、明倫小学校内に剣、槍術場の有備館と水泳や水中騎馬の練習が行われた水練池、観徳門などが残っています。

その観徳門は、孔子を祀る聖廟の前門です。
明倫館の正門(南門)と聖廟との中間に位置し、泮水に架かる万歳橋を渡り、聖廟を巡らす石柵内への入口になっていました。
形式は木造瓦棒銅板葺き、左右に唐破風を備えた平唐門で、桁行2.5m、梁間1.45m、両袖に連子格子の塀をつけています。
出入口は一間一戸、扉は上部に連子を入れた桟唐戸で両開きです。
全体に木鼻や操形の多い装飾的要素が目立ち構造的にも大仏様や禅宗様の要素を持つ珍しいものです。
建築年代は新明倫館が再建された嘉永2年。
本願寺萩別院に移されて客殿門となっていたが、昭和57年3月、明倫館の旧地である明倫小学校敷地内に移されました。

現在、明倫小学校には藩校明倫館の史跡として、明倫館碑のほかに観徳門・有備館・水練池・聖賢堂などがあります。
萩市観光協会「ぶらり萩あるき」などより


国道191号沿いにある、萩市役所の真向かいの明倫小学校が、明倫館跡になります。
信号待ちをしていて、偶然気付いたのです。
レンタルサイクルの時間があと20分ほどに迫っていました。
延長しても、その後1時間も回る事は無理。
5分、10分の為に、1時間の延長料金を払うのも…と、大阪人ですから、そこは節約に長けています。

交通ルールは守りながら、最後にどうしても行きたい“久坂玄瑞誕生地”を目ざしていました。
その時に、明倫館前の交差点で信号待ちをしていたのです。
“長州ファイブ”の看板もありますし、明倫館の文字も見えました。
幕末に関係がありそうと、とりあえず写真に収めておいたのです。
後日、調べてみると、“明倫館に観徳門”ということだったのです。

ちらっとみた明倫小学校も、歴史を感じさせる建物に見えました。
ああいう木造の校舎っていいですよね。

桂小五郎や高杉晋作、伊藤博文なども、この門は目にした事はあるでしょうか。
明倫館に通っていないと、目にする事はなかったのかな?
新選組が目にした事は、絶対にないですね(笑)


萩藩校 明倫館
明倫小学校
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