月真院

2008年11月26日
二年坂・産寧坂の北に、御陵衛士屯所・月真院(京都府京都市東山区八坂下河原町463番地)があります。
月真院1  月真院
慶応3年3月20日、新選組を分離した伊東甲子太郎ら15名は、東山泉涌寺の塔頭戒光寺の長老湛然の肝煎によって、孝明天皇の御陵衛士を拝命しました。

6月8日、五条通の善立寺から臨済宗建仁寺派月真院に屯所を移しました。
月真院が高台寺の塔頭であったことから、伊東ら御陵衛士は高台寺党と呼ばれました。

11月18日、闇討ちに遭った伊東甲子太郎の遺体を引き取りに出かけた高台寺党7人のうち、藤堂平助、服部武雄、毛内有之助は斬死し、鈴木三樹三郎ら4名は、薩摩藩邸に庇護されましたが、御陵衛士は事実上壊滅しました。
新選組大事典より

月真院への行き方は、高台寺の北隣りとした方が判り易いでしょう。

私は月真院に行って、もう残念で残念で悲しかったです。
伊東甲子太郎や藤堂平助の屯所となった…と感慨に耽るどころではありません。

月真院の土塀の落書き!!!!!
誰がしたの!!!
塀、一面に落書きが…。落書きというより、土を削っているのです!!!
端から端まで、隙間なく、いろんな人が削って、掘って、見るも無残でした。

ここが高台寺党の屯所だから、落書きに腹を立てているだけではありません。
どこであろうと、人の物に落書きは犯罪です。
まして、歴史的建造物は修復したからOKとはいかないのです。
いままでの歴史が失われます。
本当に悲しくなりました。

1度、歴史研究家の先生方とのツアーで、門の中に入らせていただきました。
それが右の写真です。
この時はやはり、伊東甲子太郎や藤堂平助、間者として入った斉藤一などがいたのだな。と、想像に耽ることができました。

伊東は“武”より“論”のイメージですから、ここでは道場的な訓練より、議論を行うようなことが多かったのでしょうか?
剣を振り回す広さもなさそうにみえます。

月真院は宿坊もされているようなので、泊まることもできると聞きました。
今もされているのかな?


京都市 高台寺
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