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天満屋騒動之跡

2008年11月23日
天満屋騒動之跡(京都府京都市下京区油小路通花屋町下ル)。
天満屋騒動跡2  天満屋騒動跡1
慶応3年12月7日、京都の旅宿天満屋に滞在中だった、紀州藩周旋方の藩士、三浦休太郎を土佐海援隊と陸援隊を中心にした集団が襲い、三浦の警護についていた新選組隊士達と激闘を展開しました。

三浦休太郎は、京都で幕府と朝廷間の周旋に邁進していた人物でした。
佐幕よりで行動していたため、討幕派から狙われていたといいます。

またこの年、海援隊が運行していた艦船いろは丸が、紀州艦の明光丸と衝突事件を起こし、紀州藩が海援隊側に多額の賠償金を支払うという事件がありました。

その後、11月15日に、海援隊長の坂本龍馬が、陸援隊長の中岡慎太郎と暗殺されました。
そこで、この暗殺事件は賠償金を要求された紀州藩のさしがねで、三浦が中心人物だと思い込む人達がいました。
さらに、坂本龍馬・中岡慎太郎の暗殺現場には、原田左之助のものとされる刀の鞘が落ちていたとされたため、新選組が犯人だと確信していました。
結果、龍馬と慎太郎の暗殺は、三浦休太郎が計画し、新選組が実行したと誤認しました。

三浦休太郎が会津藩と密約して、京都に紀州兵を大挙して進駐させるという計画を進めていた、という情報をつかんでいたともいいます。
龍馬暗殺への遺恨と、討幕運動推進への危機感から、三浦休太郎の暗殺計画は推進されたようです。
そしてその計画の中枢にいたのは、海援隊士の陸奥宗光と陸援隊士の岩村精一郎らでした。

また、いろは丸賠償の示談交渉の場となった長崎で、海援隊と交渉にあたった紀州藩士の三宅精一が、この時三浦と天満屋に同宿していました。

坂本龍馬暗殺後、三浦達への不穏な動きを察知した紀州藩は、京都守護職に警護を要請し、7日の午後に新選組から一小隊が天満屋に派遣されました。
指揮官の斉藤一、大石鍬次郎、宮川信吉、中村小二郎、中条常八郎、梅戸勝之進、舟津釜太郎の7名でした。

天満屋内に入った襲撃メンバーは、2階で酒宴中の三浦休太郎に一太刀を浴びせました。
三浦の顔面を斬り付けました。

7名の新選組隊士も反撃しましたが、蝋燭を斬り部屋を暗闇にされたため、苦戦しました。

三浦は負傷しましたが、結果的には新選組は襲撃者を撃退させました。
しかし宮川信吉が即死、舟津釜太郎が重傷致死。梅戸勝之進が重傷、斉藤一、中村小二郎、中条常八郎が負傷しました。

紀州藩側は三浦の若党藤左衛門ら3名が死亡しました。
襲撃側では十津川の中井庄五郎が即死、ほかに竹中与一郎が左手首切断の重傷を負いました。
新選組史跡事典より


西本願寺の門前から、堀川通を渡り1本東側の油小路にあります。
位置としては、西本願寺太鼓楼を真っ直ぐ東に行ったあたりになります。
マンション前のお地蔵様の横に碑が建っています。
正面に「勤王之士贈従五位 中井正五郎殉難之地」
側面に「維新史跡 慶応3年12月7日 天満屋騒動之跡」とあります。

マンションの入口の真ん前に建っています。
立ち止まってみると、マンションの部屋の中を覗いているのと間違えられそうです。
特に最近は、ややこしい世の中ですから、「李下に冠を正さず」「瓜田に履を納れず」を肝に銘じておかないと大変な事になります。

お地蔵様の祠があるので、まだ大丈夫かとは思いますが、ご迷惑をかけないように気をつけないといけませんね。

天満屋騒動は、新選組どうした?! しっかり!? という結果ですね。
圧倒的勝利ではなく、ギリギリのところで勝ったという感じです。
今までも、戦闘で死傷者は出ていますが、こんなに危なっかしい戦いは滅多になかったと思います。

出動メンバーが悪かったのでしょうか?
斉藤一、大石鍬次郎、宮川信吉以外は、ごめんなさいお名前を存じませんでした。
あまり出来る隊士でなかったのでしょうか?

それにしても、不動堂屯所と天満屋は500mほどしか離れていません。
何人かを応援に向かわすとか、何か手はなかったのでしょうか?

今はマンションなので、当時を想像する事も難しいのですが、ここでは斉藤一が戦ったのですね。
少女マンガで、美男子に書かれた斉藤一と、るろうに剣心での悪~い顔をした斉藤一が入り乱れて、想像されます。
私の中では、どちらかに統一できないです。
斉藤一は藤田五郎としての写真が残っていますが、その姿では新選組斉藤一と私のイメージが一致しないのですよね。

もっと美男子のはず!と、頭の中で否定してしまいます。
昔の写真なので、カメラ(写真)が悪いのかもしれません(笑)
ちゃんと後世に残す為に、写真を撮っておいてくだされば嬉しかったのに。


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Comment
お邪魔します☆
私も斉藤一は美男子なイメージです!
あの斉藤一だと思われる写真は信じたくないです(爆)

天満屋騒動之跡が油小路にあるんですかぁ。
私、昨日ウロウロしてたんですが、素通りしてたかも、です(´・ω・`)
昨日は戒光寺から西本願寺、島原と全て徒歩で移動したので油小路の時には既に力尽きてました…。でも油小路ってちょっと分かりにくい所ですよね~。よく調べてからまた出直します(苦笑)
私もよくやっちゃいます。

「見つからなかったぁ~」と、帰宅後調べてみると、「ほんの数m隣りやったやん!」とか、
「今日、見に行った史跡の隣に、関連史跡があったやん!」
(コテコテの関西弁ですみません 笑)

これも、楽しみの一つですね。
次に行きたい史跡が出来たと思うことにしています。

油小路周辺や、伏見・淀辺りは、京都の中心(河原町周辺など)と比べると、地元の人意外は少しややこしいですよね。

この日曜日、岩倉方面に行こうとしましたが、京阪電車が凄い混雑…積み残されてしまう程で、乗ることが出来ても、身動きができず、私も気分が悪くなる始末。
岩倉は断念して、宇治に行ってきました。
(京阪、宇治線は空いていたので)

紅葉の季節は、京都は人が多すぎますね。

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