2008年11月28日 (金) | 編集 |
霊山墓地(京都府京都市東山区清閑寺霊山町)の元治元年甲子及池田屋の変の人達のお墓です。
龍馬・慎太郎のお墓の向かって右隣にあります。
墓石が並んでいます。
上の段、向かって左から
小橋友之助、安藤誠之助、津田愛之助、青木与三郎、内田弥三郎、中平龍之介、中村恒次郎、原道太、柳井健次、那須俊平、尾崎幸之進、伊東甲之助、半田紋吉、上岡謄治、田岡俊三郎
下の段、向かって左から
福岡祐次郎、河瀬室幸、河瀬太宰、駒井躋庵、古高俊太郎、大高又次郎、広岡浪秀、本山七郎、松田重助、伊藤香力、宮部鼎蔵、川嶋武二郎、武林八郎、粟屋良之助、若松弘之進
です。
写真でみる維新の京都より
この墓碑の下に、埋葬された人いるのか、遺髪などの何かが埋められているのか、はたまた墓碑だけが建っているのか、私にはわからないです。
左京区岩倉にある三縁寺に、池田屋の変の9名のお墓があり、埋葬されています。
この事からして、この9名の遺骨はここには無いと思います。
遺髪などはわかりませんが…。
多くの墓碑がありますが、正直なところ初めて名前を聞いた人も多いのです。
どんな人か調べようと、手元の資料をみてみましたが、元治元年に関しては記述が見つかりませんでした。
知る人ぞ知る!っていう、脇を固めていた人たちなのでしょうか。
小橋友之助 讃岐高松出身。
原道太 久留米藩士。真木泉に師事しました。禁門の変で鷹司邸にて自刃しました。享年27。
那須俊平 土佐国高岡郡梼原村で槍指南をしている郷士です。
(2008年7月29日〜8月4日を参照して下さい。)
伊東甲之助 伊藤甲之助(?)土佐藩士。武市瑞山の土佐勤王党に参加しました。
禁門の変の時、堺町御門にて戦い、京都夷川の辺りで敵に囲まれ割腹。享年21。
半田紋吉 半田門吉(?)久留米藩士。天誅組。真木和泉に傾倒していました。
禁門の変で鷹司邸で戦死。享年31。
上岡謄治 土佐高岡郡津野山村北川の郷士。武市瑞山の土佐勤王党に参加しました。
堺町御門付近で戦いましたが敗北し、鷹司邸にて自刃しました。
河瀬太宰 川瀬太宰。近江膳所藩家老戸田五左衛門の五男。
慶応元年会津藩の捕吏は、大津に帰る途中の彼を捕えました。
1年余り獄につないだ後、慶応2年6月7日、京都町奉行の手で斬に処しました。
夫妻の墓は、大津市小関越五本桜、池田家墓地にあります。
幕末維新人名事典より
大高又次郎、松田重助、宮部鼎蔵は2008年7月16日の三縁寺を参照して下さい。
また古高俊太郎の墓は後日UPする予定です。
その他の人達については、調べきれていません。
粟屋さんは、人名事典に2名書かれていました。どちらも同時期に亡くなっているので、この良之助がどちらかわかりませんでした。
幼名や通称や変名やいろいろと使っているので、なかなか判りませんね。
本人も呼ばれて、自分だと気付かない事はないのでしょうか?
ここでは「○○」と名乗っていたのに、間違えて「■■」と言ってみたりはないのでしょうか?
私なら絶対間違える自信があります。
龍馬・慎太郎のお墓の向かって右隣にあります。
墓石が並んでいます。
上の段、向かって左から
小橋友之助、安藤誠之助、津田愛之助、青木与三郎、内田弥三郎、中平龍之介、中村恒次郎、原道太、柳井健次、那須俊平、尾崎幸之進、伊東甲之助、半田紋吉、上岡謄治、田岡俊三郎
下の段、向かって左から
福岡祐次郎、河瀬室幸、河瀬太宰、駒井躋庵、古高俊太郎、大高又次郎、広岡浪秀、本山七郎、松田重助、伊藤香力、宮部鼎蔵、川嶋武二郎、武林八郎、粟屋良之助、若松弘之進
です。
写真でみる維新の京都より
この墓碑の下に、埋葬された人いるのか、遺髪などの何かが埋められているのか、はたまた墓碑だけが建っているのか、私にはわからないです。
左京区岩倉にある三縁寺に、池田屋の変の9名のお墓があり、埋葬されています。
この事からして、この9名の遺骨はここには無いと思います。
遺髪などはわかりませんが…。
多くの墓碑がありますが、正直なところ初めて名前を聞いた人も多いのです。
どんな人か調べようと、手元の資料をみてみましたが、元治元年に関しては記述が見つかりませんでした。
知る人ぞ知る!っていう、脇を固めていた人たちなのでしょうか。
小橋友之助 讃岐高松出身。
原道太 久留米藩士。真木泉に師事しました。禁門の変で鷹司邸にて自刃しました。享年27。
那須俊平 土佐国高岡郡梼原村で槍指南をしている郷士です。
(2008年7月29日〜8月4日を参照して下さい。)
伊東甲之助 伊藤甲之助(?)土佐藩士。武市瑞山の土佐勤王党に参加しました。
禁門の変の時、堺町御門にて戦い、京都夷川の辺りで敵に囲まれ割腹。享年21。
半田紋吉 半田門吉(?)久留米藩士。天誅組。真木和泉に傾倒していました。
禁門の変で鷹司邸で戦死。享年31。
上岡謄治 土佐高岡郡津野山村北川の郷士。武市瑞山の土佐勤王党に参加しました。
堺町御門付近で戦いましたが敗北し、鷹司邸にて自刃しました。
河瀬太宰 川瀬太宰。近江膳所藩家老戸田五左衛門の五男。
慶応元年会津藩の捕吏は、大津に帰る途中の彼を捕えました。
1年余り獄につないだ後、慶応2年6月7日、京都町奉行の手で斬に処しました。
夫妻の墓は、大津市小関越五本桜、池田家墓地にあります。
幕末維新人名事典より
大高又次郎、松田重助、宮部鼎蔵は2008年7月16日の三縁寺を参照して下さい。
また古高俊太郎の墓は後日UPする予定です。
その他の人達については、調べきれていません。
粟屋さんは、人名事典に2名書かれていました。どちらも同時期に亡くなっているので、この良之助がどちらかわかりませんでした。
幼名や通称や変名やいろいろと使っているので、なかなか判りませんね。
本人も呼ばれて、自分だと気付かない事はないのでしょうか?
ここでは「○○」と名乗っていたのに、間違えて「■■」と言ってみたりはないのでしょうか?
私なら絶対間違える自信があります。
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