近藤勇休息所

2008年11月09日
近藤勇休息所(京都府京都市下京区御方紺屋町)、妾を囲っていた場所ですね。
近藤勇妾宅跡
「写真集 新選組始末記」によれば、“GSバッテリー”が近藤勇の愛妾宅跡だそうです。

不動堂村に屯所が移った頃の話のようです。
新選組不動堂屯所に隣接した建物か、深雪太夫の語る仏光寺(正しくは興正寺)下屋敷の1部と思われます。醒ヶ井木津屋橋下ルところならば、屯所の西側であり、木津屋通を東へ入った辺りで、屯所の北側の一画とも考えられます。

慶応3年12月18日に、寺町通で近藤を見かけた阿部十郎らが、踏み込んだの妾宅もここです。
近藤は、この日の夕方、狙撃されて右肩を負傷しました。
新選組史跡事典より


リーガロイヤルホテル京都ではない方の、不動堂屯所跡の写真と同じ場所になります。

妾は深雪太夫のようですね。
深雪太夫の妹お孝を引き取って一緒に住んでいました。
深雪太夫がリウマチになり、治療のため伏見の医者の家に行っている間に、近藤はお孝といい仲になってしまいました。
深雪太夫は200両をもらい、島原のお茶屋を譲り受けたとか…。
お孝は娘を産みましたが、近藤勇は江戸へ帰って行きました。

江戸に奥さんがいてるのに…といっても、当時は特に珍しいことではなかったと。
NHK大河ドラマ「篤姫」でも、小松帯刀が江戸で女性と暮らして、子供をもうけていますものね。
女性側も、そういう風潮のなかで、そういう教育(?)を受けているでしょうから、嫉妬はしつつも強くいえなかったでしょう。
私は嫌です。

究極は将軍や各藩主の側室ですよね。
何人いたのやら…。

近藤勇もこの休息所では、少しは安らげたのでしょうか?
いつ襲撃されるかという不安は付きまとったでしょうね。
でも、姉が病気療養中に妹といい仲になるなんてね~。
土方歳三より女ったらしですよ!
確かに不細工ではないお顔立ちですが、性格はどうだったのかな?

女性にマメな感じもしないのに。
意外と熱烈なアプローチをする人だったのかもしれませんね。
新選組局長のストレス発散のためだったりして。


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(2003/12/12)
横田 淳今川 美玖

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近藤勇 深雪太夫
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