清浄華院-玉松操墓

2008年11月06日

姉小路公知と同じ清浄華院(京都府京都市上京区寺町通広小路上ル)に、玉松操の墓もあります。
玉松操墓
玉松操は王政復古を画策した岩倉具視の腹心にして国学者です。
侍従山本公弘の子として京都に生まれました。
家系は西園寺家の末流にあたります。
はじめ醍醐寺に入って僧となり、猶海と称して大僧都法印にまでのぼりましたが、僧律改革を唱えて受け入れられず、天保10年還俗して山本毅軒と称し、さらに玉松操と改めました。

国学を大国隆正、漢籍を鈴木恕平に学び、尊攘の志を深くし有志の士と交わりました。
慶応3年洛北に蟄居中の岩倉具視の知遇をうけ、その片腕となって王政復古、太政官制、討幕の密勅などに関与し、討幕派公卿の指導者たらしめました。

討幕軍の先頭を飾った日月章の錦の御旗と菊花の紅白旗は彼の案だといわれています。

明治2年徴士内国事務権判事、同3年侍読となりましたが、新政府が開国の方針をとったため、翌年辞任し、憤然と余生を送ったそうです。
幕末維新人名事典より


姉小路公知と同じ、清浄華院に玉松操の墓があります。
玉松操といえば、「“ニセ”錦の御旗」製作者だと思っていました。
討幕軍の先頭にたった旗は、“ニセ物”か“ホン物”かどちらなのでしょう?
私が昔読んだ本には、“ニセ物”と書いてあり、この“ニセ物”に幕軍は怯み、討幕軍は士気が高まって、討幕がなったとありました。
私はそれが本当だと、ずっと思っていたので、“ニセ物”だと信じていました。

でも実際はどうだったのでしょうか?
ニセ物と言い切れない、ニセ物だったのでしょうか?

玉松操の墓は、形が変わっています。
時々こういうお墓はみかけますね。
それにお墓の前に名前が刻まれた石柱が建てれていました。

私の中では、姉小路公知の名前の方がよく知っていましたが、歴史からみると玉松操の方が偉業を成し得た人ですね。
「錦の御旗」ですからね。

どちらのお墓もみつけられると思います。


玉松操 錦の御旗

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