京都御所

2008年11月04日
京都御所(京都府京都市上京区烏丸通今出川~丸太町東側)は、京都の地図をみるとすぐに目に付くと思います。
御所2  御所3
承明門からの紫宸殿

御所紫宸殿2  御所紫宸殿1
紫宸殿

平安造営当時は、内裏は現在の京都御所とは異なり、その西方にあたる千本丸太町あたりにありました。
今の位置に移ったのは平安の末期頃でした。
平安の末期頃は、200年余りの間に度重なる火災が起こり、安元3年の大火では、紫宸殿はじめ内裏のほとんどが焼けてしまいました。
治承・寿永の源平の戦いの最中であったため、内裏の再興はされませんでした。
当時内裏には、里内裏と呼ばれる邸宅がありました。
これは内裏が火災に遭った時や、方位が悪い、皇子誕生の時とかに、仮の御所として使われていました。

現在の京都御所も、当時は里内裏の一つで、東洞院土御門内裏と呼ばれていました。

御所は応仁の乱には無事でしたが、大風等の災害により、戦国時代には荒廃していました。
元亀2年、入洛した信長が御所を造営し、秀吉が天正18年に内裏を造営し、徳川家康も慶長18年に造営に尽くしました。
里内裏のため無かった南門(建礼門)を建てて地域を拡げました。

その後幾度か、炎上しましたが、いずれも再興されました。
安政2年に現在の京都御所が出来ました。
幕末維新京都史跡事典より

<紫宸殿>
内裏の正殿。南面して建つ入母屋造り檜皮葺きの建物。
正面九間の母屋の四方に廂を設け、母屋と北廂の間に賢聖障子を入れる。
もと日常の政務を議する所であったが、大極殿焼失後は即位などの儀式も行うようになった。
大辞林より


普段は申し込みをして拝観する京都御所ですが、春秋は一般公開をしています。
私もその時に拝観に行きました。
なので人が多かったです。
人・人・人でした。
さらに最初に行った時は、ちょうど地下鉄テロなどがあった直後だったので、入口で一人ずつ手荷物検査がありました。
その検査の列も長かったです。

御所の中に入ると、やはり広かったです。
紫宸殿などを目にすると、幕末は吹っ飛んでいました。
もっと時代を遡って、平安の貴族を思い浮かべますね。
源氏物語の宮廷シーンや、藤原業平とか、百人一首とか…。

孝明天皇や和宮などもちろん幕末もここには、平安時代と同じような衣装に身を包んだ人がいたのでしょうが、やはり平安時代にタイムスリップしてしまいます。
女性はほとんど歩かなかったのかもしれませんが、十二単でこの長い廊下を歩くのは大変だったでしょうね。

さすがに新選組も(今でいう)京都御苑までしか入った事はないでしょう。
京都御苑254


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