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二条城-二の丸御殿

2008年11月02日
二条城(京都府京都市中京区堀川通二条西入二条城町)の国宝 二の丸御殿です。
二条城1  二条城二ノ丸御殿1
車寄

二条城二ノ丸御殿2  二条城二ノ丸御殿3
二の丸庭園より

桃山時代武家風書院造りです。
御車寄につづいて遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の6棟が東南から西北にかけて、雁行に並んでいます。
建物面積3,300㎡、部屋数33、畳は800畳余りです。

各部屋の襖絵は狩野派によるものです。
また欄間の彫刻、飾金具、長押に打たれた花熨斗形の釘隠しなどは、豪華に極めています。

御殿東北には、台所・御清所があります。

<遠侍の間>
城に参上した大名の控え室です。
虎の間ともいわれ、虎と豹の絵がかかれていますが、毛皮をみて書いた想像画です。

<式台の間>
参上した大名が老中職と挨拶を交わした所です。
将軍への献上品もこの部屋で取り次がれました。
襖絵は狩野探幽25歳の作です。

<大広間三の間>
外様大名の控えの間です。
部屋の正面上にある欄間の彫刻は、厚さ35㎝の桧の1枚板を両面から透かし彫りしたものです。

<大広間一の間・二の間>
帳台構え(武者隠しの間)、違棚・床の間・附書院を備えています。
このような部屋のつくりを、桃山時代の武家風書院造りといいます。
襖絵は狩野探幽の作です。
この部屋で慶応3年10月、15代将軍慶喜が諸大名を集めて大政奉還を発表し、徳川幕府265年の幕を閉じました。

<大広間一の間の天井>
外様大名に対面した部屋で、最も豪華です。
天井は、四方がまるく折上がった、「折上げ格天井」です。
一の間は中がもう一段折上がった、「二重折上げ格天井」です。

<黒書院>
奥御殿で、将軍と親藩大名の内輪の対面所です。
襖絵は、探幽の弟尚信20歳の作です。

<白書院>
将軍の居間と寝室です。
内部の装飾は表書院と趣が違い、絵画も狩野興以の作で、山水画になっています。

<大広間四の間>
将軍上洛のときに武器を収めた部屋といわれています。
襖絵は狩野探幽の作で、老松に鷹で、松の枝張りは11m余りもあります。

<老中の間>
老中が執務をした部屋です。
一・二の間は雁の間で、三の間は柳と鷺の絵で、狩野探幽と高弟の作といわれています。

<勅使の間>
遠侍の東北の一角になっています。
将軍が朝廷からの使者を迎える時の対面所です。
襖絵は狩野眞設です。

<柳の間・若松の間>
御車寄を入った正面の2間は、襖の絵により「柳の間」「若松の間」と呼ばれています。
目付け役が控え、来殿者の受付をした場所です。
元離宮 二条城パンフレットより


もちろん室中は撮影禁止です。
いろいろな部屋があります。
廊下はうぐいす張りです。キュッキュッと鳴らしながら歩いていると、昔の人の智恵の深さに感心してしまいます。
よく考えたものですよね。
幕末以前より、ずっと昔からあるこの技を最初に考えた人は凄い!!

ここで見るべきはやはり、「大政奉還の間」でしょう。
徳川幕府終焉の場所です。
実際に見てみると、本当に徳川幕府ってあったんだな。
そして徳川慶喜という人がいて、大政奉還をしたのだと実感します。
そして新選組という存在も、小説や映画の中だけではなく、本当にあったのだと改めて思えました。

大広間三の間の欄間も是非見てください。
表と裏の彫刻が全く違うのですが、それでもお互いに邪魔になる部分が見えないという、どうやってこの図案と技術を考えたのか、私には全くわかりませんでした。
こういう昔の職人さんの技をみると、感心するしかなくなります。
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