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咬菜園跡

2008年03月15日
初日の最初に来た、船見町まで戻ってきました。
咬菜園跡(こうさいえんあと)(函館市船見町)を訪れました。
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安政4年に箱館奉行から1,140余坪の土地を払い下げてもらった、堺屋新三郎が庵を作り、各地の名木等を移植した名園として親しまれていました。
咬菜とは粗食のことで、五稜郭設計監督の武田斐三郎が名づけ親です。
明治2年3月14日、榎本武揚は幹部6人(中島三郎助、高松凌雲ら)と、今宵最後と一夜の宴を開いた場所です。
明治9年には、寺島宗則、伊藤博文の宿所ともなっています。       説明看板より

咬菜園跡と聞いて思い出すのは、坂を上ったという事です。
民家の間の坂を上った記憶があります。
本当にここであってる?家しかないのでは?と思いながら歩きました。
着いて看板を見て、でも他には特に何もありませんでした。
看板がなければ、ただの草木の生い茂った場所としか思わない場所でした。

せっかく坂を上ってきましたが、次に行きましょう。
己巳役海軍戦死碑も近くにあるようです。
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