浄教寺

2008年11月03日
浄教寺(京都府京都市下京区寺町通四条下ル東側)は、宇和島藩主の館として使われていました。
浄教寺
伊予宇和島藩八代藩主伊達宗城は富国強兵策をとり、殖産興業にも力を入れていました。
高野長英、村田蔵六を呼び、軍事研究と軍備の近代化に務めました。
そうして強化された経済力と軍事力で、幕府に対して強力な発言権をもちました。

一橋慶喜を将軍に推していたため、安政の大獄の際、隠居の身分になりました。
しかし、実質は藩主で、文久2年以後上京して公武合体運動に活躍しました。
そn時に宿舎としたのが浄教寺でした。

浄教寺は平重盛ゆかりのお寺です。
写真で見る維新の京都より

阪急電鉄河原町駅か京阪電鉄祇園四条駅(2008年10月に改名)からが近いです。
阪急河原町駅からだと駅を上って、高島屋と東側の藤井大丸の間の寺町通を南へ100m。2つ目のお寺です。

細い道ですが、車が引っ切りなりに通ります。
道から見ただけでは、こじんまりとしたお寺で、藩主が宿舎にしたお寺としては狭いなと思いました。
薩摩・長州・土佐・会津など、わりと中心的に動いた藩ではなければ、宿舎の規模としてはこれぐらいなのでしょうか?
藩主だけだったら、側近なども少なくて大丈夫なのでしょうか?

こじんまりとしている方が警備はしやすいという面もありますよね。
関連記事
Comment

管理者のみに表示