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離宮八幡宮

2008年10月28日
離宮八幡宮(京都府乙訓郡大山崎町小字西谷)も幕末の舞台でした。
離宮八幡宮東門249  離宮八幡1
離宮八幡宮東門(江戸時代)

離宮八幡2
多宝塔礎石
二間半四方で高欄の回廊をめぐらせた多宝塔がここにありました。
江戸時代初めに幕府の命令で現在のJR線路より北に及ぶ広壮な境内に多くの社殿が修造新造されましたが、これはその一つでした。
しかし、殆どの建造物は「禁門の変」で長州藩屯所とされた為に戦火で焼失しました。
説明看板より

離宮八幡の門前大山崎町は、天王山を背に大河を前に八幡山に対し、交通の要衝で京都に向けての軍事上の要点でした。

禁門の変では、油座を司った離宮八幡宮内にも、長州兵が配備されました。
この禁門の変で一屋も残さずに焼失しました。
現在の社殿は明治時代の再建です。

鳥羽伏見の戦いの時、山崎関門は藤堂藩が守っていました。
正月5日深夜、勅使四条隆平は綸旨を携え、家老藤堂采女に会いました。
帰順を約した藤堂藩は、6日早暁から橋本の幕軍に砲撃を開始しました。
写真でみる維新の京都より


JR東海道本線(京都線)山崎駅を出て、真っ直ぐに進みます。
厳密には突き当りではありませんが、主要地方道67の大きな道に出る右(西)側にあります。
その道を右に曲がって進んでいくと、山崎関門に行く事もできます。数十mです。

広くて静かな境内でした。
この離宮八幡宮が幕末に関係があるのかは知らないままに、目に入ったので寄ってみました。
そこにあった説明に、「禁門の変」「長州藩」とあるので、慌てて写真を撮りました。

禁門の変の長州藩といえば、中心人物とはいわないですね、中心藩というのが正しいのでしょうか。
事件の中心にいた藩ではないですか。
その屯所となった場所だなんて、いろいろな本に書かれていますか?
新選組ファンの読むような本には、詳しく書いてないですよね?
京都の御所付近の戦いなどが中心ですよね。

禁門の変で多くの建物が焼失したのは、とっても残念です。
これは長州だけの責任ともいえないですが、歴史的建造物は焼かないでといいたいです。
木造建築だと注意しても、戦いなんてものが始まればあっという間なんでしょうね。

山崎という響きを聞いて気付いた方もいるのではないでしょうか。
大山崎駅の山側西方向に、サントリーの山崎蒸溜所・サントリーのウィスキー工場があります。
予約すれば工場見学も可能です。
成人の方は試飲もできます。(未成年者や飲めない方はそれに変わるものがあったはずです。)
お時間のある方は、プランに入れてみてはいかがでしょうか。


サントリー 山崎 ウィスキー 工場見学
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