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高濱砲台

2008年10月27日
カテゴリを「京都 鳥羽・伏見戦」にまとめましたが、高濱砲台跡(大阪府三島郡島本町高浜)は、大阪府になります。
高濱砲台2  高濱砲台3

高濱砲台より橋本方面
「高浜砲台跡」の碑の横の堤防から橋本方向を望む。

元治元年に幕府により設置された河川台場です。
淀川対岸には、楠葉砲台がおかれています。
国内では河川台場は他に例をみないです。
大坂湾から京都へ侵入する外国船を想定して築かれました。
周囲180mの長方形で、土塁の高さは2.5mほど、カノン砲四門が設置され、管理は京都守護職・松平容保があたりました。

慶応4年1月の鳥羽・伏見戦では、高浜砲台を津藩藤堂家が、楠葉砲台を小浜藩酒井家が守り、京都方面から来る薩長軍に備えていました。
津藩は5日の勅使・四条隆平の説得に応じて新政府への帰順を決め、翌6日正午過ぎに旧幕軍の八幡、橋本、そして楠葉砲台に砲撃を開始しました。

土方歳三ら新選組は橋本宿、八幡山付近で戦闘状態にありましたが、津藩の裏切りにより戦意を喪失した八幡、橋本の旧幕軍とともに楠葉に撤退し、大坂まで退くことになりました。

高浜砲台は高浜、広瀬あたりにあったといいますが、淀川改修工事により取り壊されました。
今は河川敷ゴルフ場となっています。
新選組史跡事典より


阪急電鉄水無瀬駅から東へ歩きます。
水無瀬交差点を渡り、そのまま東へ続く道を道なりに歩いてください。
途中クリーニング店の分岐で右に進みます。
高浜公会堂が見えてきますが、その横の神社の前に碑が建っています。
駅から約500mです。

観光客はあるいていない、ごく普通の生活道路を歩いて行くので、ほんとうにこの道であっているのか不安でした。
「高濱砲台」という碑を見たときは嬉しかったです。

今、この碑の前に立っても、堤防で橋本方面は何も見えません。
横の堤防を登ってやっとみることが出来ます。
さらに目の前はゴルフ場なので、鳥羽・伏見の戦いを想像するには、すごく違和感を感じる風景になっています。

ここを京都守護職の松平容保が管理していたのは、あまり出てきませんよね?
松平容保といえば、新選組と近い関係です。
新選組や旧幕軍も松平容保の管理下にある場所なら安心で、裏切りなど考えられなかったのではないでしょうか?
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