小枝橋

2008年10月20日
小枝橋(京都府京都市伏見区中島秋ノ山町ほか四ヶ町)は、近年新しく架け替えられ、場所も少し横にずれました。
小枝橋4
新しい橋に架け替えられる前の小枝橋

小枝橋3  小枝橋6

小枝橋1
   小銃弾の残る家付近

慶応4年正月3日朝、討薩表を掲げて鳥羽街道を北上してきた幕軍は、滝川播磨守を総大将に、歩砲兵と見廻組を先頭に上鳥羽辺りまで進出しました。

これを阻む薩軍は東寺に本営を置き、参謀椎原小弥太・山口仲吾が幕軍と応接しました。
朝命あるまでは入京は控えるようにと、一戦をも辞さぬ勢いでじりじりと幕軍を退かせ、小枝橋南方まで薩軍は進出して、小枝橋から城南宮一帯に布陣して幕軍に対峙しました。

鳥羽街道小枝橋の南方、100mほどの地域は赤池と呼ばれ、戊辰戦争発端の地です。

小枝橋の東詰にある家には(幕末維新京都史跡事典には、苗字も書かれています)、当時の小銃弾のあとが残る柱が今もあるそうです。
幕末維新京都史跡事典より


鳥羽離宮公園の西側に鴨川が流れています。
離宮公園の北側にある橋が小枝橋です。
国道1号よりは、交通量は少ないですが、それでも車の往来は激しい道です。

つい最近、新しい橋に架け替えられたそうです。
場所も若干変わっているそうです。
話には聞いていますが、なかなか小枝橋まで行く機会がありません。
まだ新しい橋は見ていません。

鳥羽伏見戦の頃はどの辺りに橋があったのでしょうか?
道が変わっていないなら、旧小枝橋と同じ辺りにあったと思うのです。

鳥羽伏見戦跡の石碑は、ガードレールとくっつくように建てられていました。
それも字が刻まれた面が、ガードレールとくっついているので、隙間から覗かないと読めない状態になっていました。
写真が真上から撮られているのも、上から字が読める角度を探して撮ったためです。
石碑を裏返すとか、ガードレールをそこで一旦途切れさすとか、ガードレールの前に出すとか、もう少し見易くして欲しいと切に願いました。

この場所で響いた一発の砲撃の音が合図となり、戊辰戦争が始まったのです。
ここで戦争が始まったとき、新選組の中で何人が、幕軍の不利を感じ取っていたのでしょう。
土方歳三もきっと、これほどの連敗を想像はしていなかったと思います。


戊辰戦争 開戦 小枝橋
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Comment
はじめまして
初めまして。私は新選組大好きな中二のがきです。
土方副長かっこいいですよね^^
副長の武士道に私は憧れています。
私はまだ「京都」と「多摩(日野)」しか行ったことがないので
羨ましく思います。

ブログ楽しみにしてマース^^w
ありがとうございます。

土方さんが好きだそうですが、渋いですね(*^▽^*)
私は沖田さんから新選組にドップリ嵌りました。
当時私は小6で、まだまだ土方さんの格好良さより、沖田さんの美剣士・薄命にときめいていました。

私が初めて新選組の史跡に行ったのは、高校を卒業してからでしたよ。
これからいろいろと行ける機会も増えてくると思います。
楽しみですね。

またブログを覗いてみて頂けると嬉しいです。

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