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悲願寺墓地-東軍戦死者埋骨地碑

2008年10月22日

法伝寺の北東300m、国道1号京神倉庫西方100m程の電波塔の足下に、悲願寺墓地(京都府京都市伏見区下鳥羽柳長町)があります。
悲願寺墓地
この墓地は整備されて、児童公園予定地の南地区にあった「東軍戦死者埋骨地碑」も、昭和59年3月に供養を行った後、丁重に遺骨を掘り出して、新しい地区に改葬されました。
写真でみる維新の京都より


悲願寺墓地は、鳥羽地区七か寺外の共同墓地であり、寺院の建物はありません。
悲願寺の由来もハッキリとしていません。

鳥羽伏見の戦いで、この辺りで戦死した幕軍の戦死者の遺骸が棄てさられたままなのをみて、下鳥羽の人達は戦争のために自分の家も焼かれてしまいましたが、この墓地の一隅へ穴を掘って、焼け残った家の梁や柱を集めて戦死者の遺骸をその上に積み、火葬したうえで、燃え残った炭で遺骨のまわりを囲んで丁重に埋葬したそうです。

しばらくは墓標もないままでしたが、明治30年に建てられた石柱が現存しています。

先の戦争中までは、土地の者でも誰も教えることがないので、この埋骨地のことを知る人は少なかったそうです。
そして、会津墓地(黒谷金戒光明寺)内伏見淀鳥羽戦死者道しるべの石には埋骨所の位置に、悲願時共同墓地と彫ってありますが、慰霊祭の折にも、当墓所に詣でる人は皆無だそうです。

墓地改葬前に戦死者の遺族を探して慰霊祭を行いと地元の意思ですが、桑名藩の4人の子孫の消息がわかっているだけです。
幕末維新京都史跡事典より



城南宮や小枝橋などを巡ってから行くのであれば、国道1号か1本西側の道を南へ1.5㎞歩けば行く事が出来ます。
最寄り駅としては、近畿日本鉄道京都線か京阪電鉄の丹波橋が近いと思います。
駅から西へ真っ直ぐ、2㎞ほど歩きます。

国道1号の東側に京神倉庫があり、悲願寺墓地は国道1号を西側に渡った所にあります。
公園がの前に墓地が移転しています。
墓地は移転して改葬したばかりなのでとても綺麗です。
墓地の名前が“悲願寺”なので、名前からのイメージで寂しげな墓地かと思っていました。

戦死者の遺体を一つに集めて、火葬したというので、火葬された後はどの遺骨が誰のかは判らないのですね。
亡くなった本人や遺族にすれば、遺骨が無いというはとても悲しい事だと思います。
しかし、被災した町の人が、自分達の事は後にしてでも、火葬埋葬してくれた事が一番の供養になっているのかもしれません。
きっとそうだと信じたいです。

桑名藩の4人以外に、何人の遺族が見つかったのでしょうか。
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