鈴ヶ森刑場跡

2008年10月12日
小塚原刑場(江戸)、西刑場、粟田口刑場(京)と訪れ、今回は鈴ヶ森刑場跡(東京都品川区南大井2丁目5番8号)です。
鈴が森刑場跡1

鈴が森刑場跡2  鈴が森刑場跡3
   首洗い井戸           磔台と火炙台

江戸時代には、江戸の北の入口(日光街道)に設置されていた小塚原刑場、西の入口(甲州街道)沿いに設置されていた八王子市の大和田刑場(または中仙道の入口の板橋刑場との説もあります)とともに、江戸3大刑場といわれました。

「鈴ヶ森」という地名の由来は、この近くにある磐井神社の社に鈴石(振ったりすると音がする酸化鉄の一種)があったためといわれています。

刑場が閉鎖されるまでの、220年の間に10万人から20万人もの罪人が処刑されたと言われています。当時は東京湾沿いにあり、刑場近くの海で水磔による処刑も行われたとの記録も残されています。

この場所では、平井権八や天一坊、八百屋お七、白木屋お駒といった人物がここで処刑された。
Wikipediaより


訪れた当時は分からなかったのですが、大井競馬場の裏-東京モノレールの大井競馬場前駅が反対側にあるので-が鈴ヶ森でした。
京浜急行大森海岸駅から500mほどの場所でした。

新選組や幕末とは関係のない場所(だと思います)ですが、やはり歴史の史跡ポイントですし、何といっても興味があったので行ってみました。
時代劇などでは、よく出て来る場所ですよね。

やはり刑場跡は訪れる人は少ないですね。
ここでも他に来ている人に会いませんでした。
どことなくここも、他の刑場跡と同じように、空気感が違っているような感じでした。

他の刑場跡には、墓地やお地蔵様などはありましたが、それ以外は特に「刑場」と思わせるものはなかったのですが、ここには磔に使われた石などが(場所は動かされていますが)残っていて、刑場だったという事を強く感じさせていました。

この石を使って、何人の人が処刑されたのでしょう?
この石は実際に人の血を吸っているのでしょう。
人の血や、叫び声や、呻き声を、経験している石だと思うと少し怖かったです。


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鈴が森刑場
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