土佐藩大坂陣営

2008年09月28日
土佐藩大坂住吉陣営(大阪府大阪市住吉区住吉2丁目)という名前があったのかは判りませんが、大阪市住吉区の住吉大社西南の一画に、軍事施設としての陣営を構えていました。
住吉大社
龍馬は文久2年2月8日、この陣営で安岡覚之助と会い、京都へ行き形勢を視察したのち土佐へ帰っています。
また住吉陣営にいた望月清平宛に書簡を送っています。

陣営の建物は、のちに京都の白川へ移され、陸援隊の兵舎となりました。
坂本龍馬大事典より

太鼓橋で有名な住吉大社です。
阪堺電気軌道阪堺線の住吉駅または住吉鳥居前駅か、南海本線の住吉大社駅の前です。
阪堺電車は路面電車です。
「チンチン電車」と呼ばれているはずです。(私の周りではそう言っていますが、地元の人はどうでしょう。)

今では考えられませんが、当時は海に面していたというのです。
莫大な面積を埋め立てという事がわかります。
それも幕末期は海に面していたのですから、幕末以降の近い過去という事になります。

龍馬はこの地を訪れているといいいます。
海も見えないので、いまひとつピンッと来ないです。


大阪 住吉大社
陸援隊
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Comment
住吉陣営は
土佐藩の住吉陣営は現在の住吉大社の境内ではなく住吉公園の辺りではないでしょうか?幕末期の海岸線は加賀屋新田の埋め立てなどもあって住吉大社からは遠く離れほぼ現在位置近く(さすがに南港地区は無かったですけど)になっていたはずですし、住吉公園は元々、住吉大社の境内(馬場だった)でしたから可能性はあるのでは?
土佐藩住吉陣屋跡
 こちらも顕彰しました。万延元年に幕府から1万坪を交付され、住吉陣屋が土佐藩によって設営されました。御仕置役 吉田東洋、御普請奉行 後藤象二郎です。

 場所はチンチン電車で言うなら、1つ北よりの東粉浜下車、現在の東粉浜小学校周辺の広大な場所です。2010年末に地元の有志の方と石碑を立てることができました。

 龍馬がここを訪れたのは、文久2年2月のことで、脱藩の1月前です。
 この陣屋は木津川口の防備のためで、直接、海の防備ではありません。万葉集の時代は、住吉神社のすぐ近くまで海岸線が来ていたと思われますけどね。
Re: 土佐藩住吉陣屋跡
こちらでまとめてお礼を書かせて頂きます。

詳しいお話をありがとうございます。
すぐにでも行きたくなりました。
今はまだ身軽に動けないのですが、もう少しして動けるようになった時には、カメラ片手に訪れたいと思います。
今からワクワクしています。

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