常安橋会所跡

2008年09月21日
家里次郎切腹の地である常安橋会所跡(大阪府大阪市北区中之島4~5丁目/西区土佐堀1~2丁目 常安橋)です。
常安橋会所跡
常安橋は土佐堀川に架かる橋です。
橋名は、中之島を開いた豪商・淀屋 岡本常安に由来しています。
しかし、南詰にあった和漢薬問屋の田辺五兵衛が、橋を架け替えたので、元禄の頃は田辺屋橋とも呼ばれていたそうです。

この橋のたもとに会所があっといわれています。正確な場所は不明。
文久3年4月から6月にかけて、新選組が何度か大坂での宿所として利用しています。
また4月24日、この会所で新選組の家里次郎が切腹しています。

家里は、幕府の募集した浪士組に参加して、上京してきました。
浪士隊が江戸へ帰る時、殿内義雄と、京都残留を希望しました。
同様に残留を希望した、試衛館一派と芹沢鴨一派らと同じく、会津藩御預かりとなりました。

壬生村に屯所を構え、家里の募集に応じたのは、10名ほど居たようです。
そのうち4名ほどは病気であったようで、阿比留鋭三郎は同年4月6日に亡くなっています。
(会津藩御預となったのは、文久3年3月15日)
また、建白書を出したとき、病気の4名と家里と殿内が連署していません。

殿内は3月25日に四条大橋で殺害されています。
旅支度姿であり、根岸も伊勢参りに行くとして同志2、3人と脱走。
のち根岸、遠藤丈庵、清水五一、鈴木長蔵、神代仁之助は新徴組に入っています。
粕谷新五郎も離れており、家里は別行動をとったか? 一人取り残されたか?

同年4月21日、将軍家茂の警護の為に大坂へ下りました。
家里が殺害されたのは三日後の事でした。
家里は近藤らによって、常安橋会所まで引き立てられて、詰め腹を切らされました。
享年25歳。
新選組史跡事典&新選組大事典より

ん~、常安橋に一番近い駅は………。
難しいですね。
JR環状線の福島駅・JR東西線の新福島駅、または阪神電鉄の福島駅から南下。
大阪市営地下鉄四つ橋線の肥後橋から西に歩く。
これらが1㎞ちょっとで、同じぐらいの距離です。

200mほど遠いですが、
もしくは大阪市営地下鉄四つ橋線(中央線・御堂筋線もありかな)の本町駅から北上。
というのも考えられます。

福島駅&新福島駅から南下するルートがいいかなと思います。

常安橋そのものが新選組関係の史跡ではありません。
この橋の近くに会所があったそうです。

家里次郎の切腹には近藤勇も関わっています。
近藤勇もこの橋を渡った事があります。
井上源三郎の兄、八王子千人同心の松五郎もその時、この会所に泊まっていたようです。
主要メンバーが大集合!
初期新選組の誰もがこの橋を渡っています。

もちろん橋は架け替えられていますが、もし当時の何かが残っていたら、きっと触りまくっていたと思います。
どこに会所があったのでしょう?


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(2006/11)
菅井 靖雄

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