五稜郭-壱

2008年03月02日
いよいよ五稜郭(函館市五稜郭町・本通)です。
五稜郭はいわずと知れた、土方歳三ら旧幕府軍の本拠地です。
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箱館開港に伴い、北辺防備の拠点として、江戸幕府が大洲藩士武田斐三郎に設計させました。
安政4年に着工、元治元年に完成。石垣積みの土塁と五稜星形にめぐらせて、水堀で囲んだ日本初の洋式城郭でした。
箱館山の山腹にあった箱館奉行所の機構を移していましたが、慶応4年の大政奉還により新政府に渡り、箱館裁判所となっていました。

土方歳三や新選組の五稜郭での経緯は、

明治元年
・10月19日~23日 艦隊を蝦夷内浦湾鷲ノ木に投錨。
・10月20日 伝習士官隊の滝川充太郎と伝習歩兵隊の大川正次郎が30名の護衛兵と、旧幕府軍による北辺警備を認めてもらうために知事宛の嘆願書を持って、七重ルートで五稜郭を目指します。
・   22日 土方歳三が、島田魁を隊長とする守衛新選組の数名と衝鋒隊・陸軍隊・額兵隊と川峠汲峠を出発しました。
・   22日深夜 滝川らは箱館府兵に攻撃されましたが、撃退します。
・   23日 大鳥圭介率いる新選組・伝習歩兵隊・伝習士官隊・遊撃隊・工兵隊が七重ルートへ行軍を開始します。
・   26日 箱館府が連敗し撤退したため、五稜郭が無血開城されました。
・   28日 土方歳三は、松前攻略の為に彰義隊・陸軍隊・守衛新選組と出発しました。
・   30日 新選組が五稜郭に至る。箱館市中取り締まりの任務を与えられます。
・12月 5日 五稜郭に戻り、二番屯所の取り締まりを命じられました。
・   15日 土方歳三が五稜郭に凱旋しました。
・   22日
・   28日 22日との両日の入札により、土方歳三は陸軍奉行並および箱館市中取締裁判局頭取に就任します。

明治2年
・4月15日 土方歳三は五稜郭より二股口へ出陣しました。
・5月 1日 無敗のまま五稜郭へ帰陣しました。
・   11日 籠城状態になった弁天台場に向かい、一本木関門の戦いで、腹部に銃創を受けて戦死してしまいました。
・   14日 五稜郭降伏をすすめる青森口総督軍監田島敬蔵の使者のひとりとして、新選組隊士相馬主計が五稜郭を訪れ、千代ヶ岡の付近で会見が行われる事となったが、榎本武揚らは降伏に同意しなかった。
・   16日 新選組隊士安富才助が、日野の土方隼人宛に、歳三戦死を伝える手紙を認めます。
・   18日 五稜郭が降伏しました。
                                           新選組史跡事典より
                          
五稜郭での土方歳三や新選組の経緯はこんな感じでした。
土方歳三の遺骸は、現在でもどこに埋葬されたかはわかっていません。
五稜郭に埋葬されたという説もあります。
それらの事や、五稜郭の感想などは次回に書きたいと思います。
今回は、五稜郭の概要だけで長くなってしまいました。

次回、もう一度五稜郭です。
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