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中島三郎助父子最期の地碑

2008年02月29日
千代ヶ岡陣屋跡は現在の千代台町になりますが、、中島三郎助父子最期の地碑は中島町(函館市中島町33番地6のグリーンベルト)に建てられています。
nakajima085.jpg
中島父子は千代ヶ岡陣屋で亡くなったので、千代ヶ岡陣屋跡に碑が建つ方が正確なのかもしれません。実際は道路状況などで無理があるのでしょうね。

中島町というのは、中島三郎助の名前に由来します。
俳人でもあり、辞世の句は「ほととぎす われも血を吐く 思い哉」
墓は神奈川県横須賀市東浦賀2丁目の東林寺


グリーンベルトにある碑は写真を撮るには不便ですね。
グリーンベルトには入れないですし、道路には車が通りますし…。
それでもこの碑は比較的、目立つので探すのには苦労しませんでした。
後で実感するのですが、ここから五稜郭は近かったです。
中島三郎助が五稜郭と連絡を取ったりするには、遠すぎず近すぎずだと思いました。

中島三郎助の戦死時の年齢が49歳~54歳まで、史料によってまちまちだったりします。
生年が文政2年。亡くなったのが明治2年。
新選組大事典の51歳が正確なのでしょうか。
旧暦だったり、数えだったりしますからね。

次は五稜郭だ!!
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