神道無念流 練兵館跡

2008年08月14日
斉藤弥九郎の創設した神道無念流剣術道場の練兵館跡(東京都千代田区九段北3)です。
北辰一刀流玄武館、鏡新明智流士学館とともに「江戸三大道場」と総称されました。
(しかしこの通称は後世の造語のようです。)
練兵館跡2 
神田俎橋にあったが火災で焼失し、九段坂を800mほど西上した三番町に道場を移しました。

甲良屋敷の試衛館に他流試合の申し出があると、錬兵館に助っ人を要請したそうです。
練兵館の門人らが役目を果たすと、近藤勇は礼として、酒一升と沢庵漬け一樽を贈呈したそうです。
錬兵館と試衛館の間は2㎞ほどあります。
距離的には無理な話ではありませんが、このエピソードも真偽は不明です。

その後、明治2年に至近に新設された九段招魂社の社域拡張にともない、練兵館は牛込見附に移転しました。斉藤弥九郎は維新後、新政府に出仕したのち、明治4年に没しました。
新選組史跡事典より

この碑は、靖国神社境内にあります。

試衛館に他流試合があれば、練兵館に助っ人を頼むというのは、小説でもよく読みます。
練兵館からみると、"試衛館ごとき"だと思うのですが、わざわざ助っ人に来てくれたというも、どこか前から引っかかっていました。
もしかしたら、練兵館を通してではなくて、"直の営業""バイト"として、誰かが行っていたのかも…。
これは私の現在の感覚での考えであって、当時はそんな事は考えもつかないことだったかもしれません。

練兵館跡の碑がある場所は、何もない木が多く立っている場所でした。
靖国神社の境内(?)にあるというのが、とても驚きでした。
靖国神社といえば、首相の参拝などが問題になっているのをニュースでみていたので、もっと特別な場所、もっと特別な雰囲気のある場所、警備も厳しくてピリピリしている場所だと思っていました。
普段は特別どうこうといった場所ではないようですね。

練兵館跡に足を止める人はほとんどいませんでした。
高杉晋作、桂小五郎(塾頭)、品川弥二郎らが門人ですから、もっと訪れる人も多いと思っていました。


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