新選組&幕末 ばんざい!!

新選組を中心に歴史の舞台を巡ります

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三縁寺(岩倉)-宮部鼎蔵・松田重助墓

三縁寺(京都市左京区岩倉花園町)。
宮部鼎蔵・松田重助の墓です。
宮部鼎蔵達の墓  松田重助墓
宮部鼎蔵
は姓は中原、名は増美です。医者春吾の子。
肥後国益城郡田城村出身で、弟春蔵は禁門の変に敗れて、天王山で屠腹。
鼎蔵は山鹿流軍学師範の叔父丈左衛門の養子となり、跡を継ぎました。
熊本に来た吉田松陰と親交を結び、嘉永4年に江戸へ上り、松陰とともに東北地方を遊歴しました。
弟らの喧嘩に巻き込まれ免職。帰省中に清河八郎に会い、文久2年上洛して勤王の志士と交わりました。
八月一八日の政変では、七卿とともに長州に下りました。
元治元年、鼎蔵は松田重助、高木元右衛門と上京し、桝屋に潜んでいました。下僕忠蔵が捕えれら身の危険を感じた鼎蔵は、小川亭に潜んでいました。
しかし古高が捕まり、池田屋の変が起こりました。

松田重助は肥後国熊本城下に生まれました。
林桜園に国学、宮部鼎蔵に兵法を学びました。
17歳で藩の小吏となり、次いで藩主の弟・護久に仕えました。
安政2年、江戸を出て途中、江川太郎左衛門に会い、京で梅田雲浜の家に寓しました。
桂小五郎と謀り、肥州と水戸と長州との同盟を周旋しますが失敗しました。
安政の大獄を避けて、高野山から四国・九州へ逃れました。
文久2年、肥後勤王党の糾合を図りましたが失敗。文久3年、天誅組蜂起には合流せず、丹波から京都への途中で、七卿落ちの一行に逢い、長州へ下りました。
元治元年、宮部鼎蔵らと上京しましたが、池田屋の変に遭い闘死しました。享年35歳。
新選組大事典より


鳥居(?)の真正面が、写真左の墓碑でした。
やはり池田屋の変の犠牲者の中での大物はこの人でしょうか?
それとも吉田稔麿?

私の中では、宮部鼎蔵と吉田稔麿の名前があります。
小説などでも、中心的に書かれていませんか?

宮部鼎蔵が清河八郎と会っていた・知り合いだったのですね!
こんなところにも、新選組との接点がありました。
厳密には清河八郎は新選組隊士ではありませんが、きっかけを作った張本人です。
世間て広いようで、狭いですね。

正面にあって、少し高いところにお墓はあるので、仲間を見守っている雰囲気で建てられています。

そして写真右の墓碑(同じく宮部鼎蔵と松田重助の名が刻まれています)は、鳥居を入って右にありました。

同じ人物の墓碑が2基もありました。
私の勘違いではないはずです。
やはり大物?

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後ろにも本棚が…。

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