土方歳三最期の地-一本木関門跡

2008年02月25日
いよいよ土方歳三最期の地です。
土方さんの最期の地については、諸説ありますが、まだ明確には判っていません。
その有力地の一つが、ここ一本木関門跡(函館市若松町333番)です。
saigo080.jpg
「土方歳三最期之地」碑は昭和33年12月14日に若松町33番地の旧若松小学校の敷地内に建立されました。昭和45年8月27日には、若松町34番地と35番地の大通りのグリーンベルト上に碑は移転されました。そして若松小学校跡地に総合福祉センターが完成し、平成4年11月7日に敷地内の小公園に再移転しています。

国道279号を五稜郭から千代台公園経由で函館駅に向かう道と、海岸町の「若松町」バス停付近で合流する道があります。この2本の道が箱館戦争時の旧道だそうです。
現在の海岸町と若松町の境界にほぼ合致して、一本木関門が設けられ、大森浜方面まで柵が巡らされていたそうです。
この関門では、通行料を取っていて、地元民には不興をかっていたそう。
明治2年5月11日未明、新政府軍の箱館市内と五稜郭への総攻撃が始まりました。
(その時の戦いの状況はここでは省略します。改めてかければと思います。)
土方歳三は、一本木関門へと出撃し、市中戦に敗れた伝習仕官隊を取りまとめ、大野右仲に伝習仕官隊と額兵隊を率いて反撃するように命じた。その戦況を見守っていたが、海戦に敗れた旧幕艦・回天の乗員を援護して上陸させると、土方は再び一本気関門へ戻った。
反撃を受けて後退する味方を指揮していたが、一発の銃弾が馬上の土方の腹部を貫き、土方は絶命しました。午前9時前後ではないかと推測されています。   新選組史跡事典より

最後の新選組隊士は、昭和まで存命でした。
しかし京都で壬生狼と呼ばれ“華”の時代を生きた、鬼副長の死は新選組というものの最後だったのだと思います。
永倉新八や斉藤一の明治は“冬”というイメージがあります。

土方歳三最後の地を目にして、真っ先に思ったのは、「小さい」「狭い」「寂しい」というものでした。
花が生けられて、写真やノートもおかれていて、ファンの皆さんの心遣いはちゃんと感じられました。
私がもっと華やか(?)なものを考えすぎていて、これだけ綺麗に手入れをされているのは、珍しいコトなのでしょうね。
たぶん、雨が降っている上に、訪れたのが夕方だったので、周りが暗かったからそう思ったのかもしれません。
ここで土方さんが亡くなったのかもしれないのです。風景は違っていますが、同じ空間に立っているんだ!と一緒にまわっている方と、二人で思いに耽ってしまいました。
あ~、函館に来て良かった。

1日目は、暗くなってしまったので、これでホテルに戻る事にします。
明日は、私的に重要(絶対に外せない)史跡をいくつかまわります。
「碧血碑」からになる予定です。
関連記事
Comment

管理者のみに表示