長楽寺-鵜飼家墓地

2008年07月20日
長楽寺(京都市東山区円山町626)で、次のお墓参りは鵜飼家の墓地です。
鵜飼家墓1  鵜飼家墓2

鵜飼家墓3  鵜飼家墓4

鵜飼家墓5
頼山陽の墓地の東脇を北へ50mほど行き、右手の山腹へ上ると鵜飼家の墓地があります。
道はほとんどありません
(※)
写真で見る維新の京都より

鵜飼吉左衛門は水戸藩士です。
天保年間京都留守居役となり、以後主として京都における水戸藩尊攘派の中心として、月照の潜伏を助けるなど活躍しました。
弘化元年、斉昭に対する幕府の謹慎処分に、参議橋本実麗に雪冤をはかって職禄を奪われ水戸に送還されました。嘉永6年に復職しました。
安政5年、幕府が通商条約承認の勅許を求める動きに在京の志士が反発しました。
水戸藩への攘夷の密勅降下をはかったさい、京都留守居役として水戸藩を代表して、積極的にかかわりました。
8月8日、万里小路正房から直接密勅を受け、長子幸吉に江戸小石川藩邸に伝達させました。
この事件をきっかけに安政の大獄がおこりました。
9月16日京都町奉行所によって逮捕され、松平飛騨守利鬯邸に禁固、拷問を受けました。
安政6年8月27日、伝馬町に獄にて斬罪に処せられました。


鵜飼幸吉は吉左衛門の長子です。
安政4年京都留守居役助役となり、在京の志士、公卿と交わり尊攘活動をしました。
翌年、密勅が水戸藩に下付された時、大坂蔵屋敷の小役人小瀬伝左衛門に姿を改め、大津で準備を整え、東海道で江戸小石川藩邸に運び込みました。
9月16日父とともに逮捕、榊原政恒邸に禁固されました。
安政6年8月27日、安政の大獄刑死者のうちもっとも重い獄門に処せられました。
幕末維新人名事典より

上記の(※)の、「道はほとんどない」を参考に墓地を捜しました。
私はこれを“よぉ~く探さないと、道を見つけられない”程度に思っていました。
が、それは大間違いでした。
本当に「道がない!」

それも平坦な道ではありません。急な上り坂です。
よくハイキングに行って、道を踏み外したら危ないと思う、急な谷底への道があると思います。
あれぐらいの坂道で、低木や高木が茂っています。
上る時も道がないので、木が生えていない場所を探しながら、木の根や幹を引っ掴んでよじ登って行きました。
さすがにそこまでして、鵜飼家墓地に行く人もすくないでしょうね。

坂を上ると、広くはありませんが、開けた平らな場所があり、そこが鵜飼家の墓地でした。
訪れた当時は、鵜飼父子の名前も初めて聞いたばかりでした。
今も“鵜飼”という名前を耳にした事がある程度ですが、大河ドラマの流れでなんとなく、どういう役割をしたのかは想像しやすくなりました。
ただし、私の想像が正しいかは判りません(笑)

上りも大変でしたが、下りはもっと大変でした。


覚書 幕末の水戸藩 (岩波文庫)覚書 幕末の水戸藩 (岩波文庫)
(1991/08)
山川 菊栄

商品詳細を見る
関連記事
Comment

管理者のみに表示