寿徳寺境外墓地-慰霊碑&最期の地

2008年07月04日
寿徳寺境外墓地(東京都北区滝野川7-8-1)には、いくつかのお墓や慰霊碑があります。
板橋新選組墓所3  板橋新選組墓所1
慶応4年4月25日、処刑された近藤勇の首は、平尾一里塚に晒されたのち、酒に漬けられて京都へ送られましたが、胴体は刑場へ埋められました。
同夜胴体を掘り出し、埋めなおしたのがこの地だといわれています。
当時は無縁塚として使用されていました。

明治2年2月に、地元の人達により、近藤勇の供養の為に無縁塚の中央に四尺(約121㎝)の石を建てました。
新政府軍などに憚って石には何も刻みませんでした。
この石は、勇の墓石がわりに、昭和3年からの墓地大改修までありました。

明治9年には、この石の真ん前に近藤勇・土方歳三の名を刻んだ、新選組慰霊碑が建てられました。

この慰霊碑建立運動は、明治7年に出された、戊辰・己巳の戦争での朝敵となり、没した者を祀ることが赦されたのを受けて始まりました。

願書には近藤勇の親類と称する、下板橋宿の高野弥七郎という者を立てていますが、実は近藤と義兄弟の盟約を結んだ元幕府奥医師、当時陸軍軍医総監の松本良順を幹事として、永倉新八、斉藤一らが提案したものと思われるそうです。
書は松本良順が担当しています。

正面に刻まれた近藤勇の諱は昌宜が正しいのです。
向かって右側面に39名、左側面が71名の隊士の名前が刻まれています。
ただし大石鍬次郎は重複しており、芳賀宜道は新選組隊士ではありません。
また芹沢鴨や伊東甲子太郎の名前もあります。
新選組史跡大辞典より

JR埼京線板橋駅を東側に下りると、真ん前にあります。
意外な場所にあって驚きました。

書籍などでよく目にしていた碑なので、見つけるのは簡単でした。
ただ、周りは民家なので、ちょっと落ち着かない空間でした。
写真を撮っていると、人の家を撮っているのと間違えられそうに思いました。

この寿徳寺境外墓地から100mほど北が近藤勇最期の地(東京都北区滝野川6-86付近)だそうです。
目と鼻の先です。
近藤さんの最期の地…。
斬首される時、どんな精神状態だったのか想像もできません。
浪士隊に募集したことを悔やんだのか、新選組を結成せずに江戸に戻った方がよかったと後悔したのか…。
後悔する事はなにもなく、いい人生だったと思ったのか…。
現代人にはきっと永遠にわからないでしょう。

新選組戦場日記―永倉新八「浪士文久報国記事」を読む新選組戦場日記―永倉新八「浪士文久報国記事」を読む
(1998/10)
木村 幸比古

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