医学館跡

2008年06月28日
医学所跡から1㎞ほど離れた場所が、医学館跡(東京都台東区浅草橋4-15・16付近)になります。

幕府の漢方医学校です。
慶応4年の鳥羽・伏見の戦いに敗れた幕府軍は当初、医学所に収容されていました。
しかし相次ぐ負傷兵の帰還により、旧幕府より負傷者を医学館に送るように通達が出されました。

医学館は漢方が専門だったため、西洋医学を修めた医学所の医師から処置法を学び、軽傷者の処置に当たりました。

医学館での治療時期は不明ですが、医学所頭取をつとめていた松本良順は、新政府軍の江戸到着を前に、医学所の負傷者を今戸の臨時病院に移しています。
この時点で、医学館での治療は終わっていたのではないでしょうか?

慶応4年8月15日、新政府によって医学館は種痘所と改称されました。
新選組史跡辞典より

道のりでは約1㎞ですが、直線距離だと500mほどでしょうか。
“佐久間町4”の交差点の付近です。
写真はありません。
「新選組史跡辞典」か「土方歳三写真集」を見ていただければ、医学館跡の写真が載っています。
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