新選組を中心に歴史の舞台を巡ります
専称寺−沖田総司墓
2008年06月27日 (金) | 編集 |
千駄ヶ谷か今戸かで亡くなった沖田総司の墓は、専称寺(東京都港区元麻布3−1−37)にあります。
専称寺213

専称寺1  専称寺2
専称寺3
沖田総司は天保13年、白河藩の江戸下屋敷で生まれたといいます。
父は勝次郎といい、白河藩の足軽小頭を務めていましたが、弘化2年、総司が4歳の時に死亡しています。
母親の名前は不明ですが、文久2年8月9日に死亡した、「誠心院清室妙林大姉」の戒名の人だと思われます。
総司の長姉・ミツは弘化3年に日野の井上林太郎を婿に迎えています。

嘉永5年ごろに総司は試衛館の内弟子となりますが、林太郎は安政7年頃まで白河藩に仕えていたので、内弟子になるまでの約10年間、下屋敷の長屋にいたようです。

総司の幼名は惣次郎、諱は春政、のち房良。
慶応4年5月30日、27歳で肺結核により死亡しました。享年27歳。
戒名「賢光院仁誉明道居士」と正面中央に刻まれています。
その左右に、「宝握全入信士」「宝閣燿雲信士」とあります。
どちらの戒名も、大野源治郎という人物のものですが、沖田総司との関係は不明です。

新徴組隊士で、総司の甥である、沖田芳次郎の墓もあります。
明治28年1月26日、43歳で死亡しています。
沖田総司の向かって左隣にあります。
塩竈の東園寺より移転した墓碑になります。

お墓は非公開です。
絶対にお寺に問い合わせをしないで下さい!もしされたら、年に1度の「総司忌」でのお参りも中止になります。永遠にお参りできなくなりますから!!
新選組史跡大事典より

沖田総司の説明は要らなかったですね。

私が一番最初に新選組を知ったのは、今から約30年前でした。
短編漫画を読んだ時に、魅かれてしまいました。

「沖田総司」の数文字の説明と、「菊一文字」という響きにやられてしまいました。
菊一文字って高貴そうで、儚そうで、謎がありそうで…。
小学生ながら、頭から離れなくなりました。

なので私の新選組の入り口は、「沖田総司」なのです。
また真偽はともかく、美男子で若くして病気で亡くなるというのも、入り口としは良かったのです。

大人(?)になって、史跡巡りを始めてもなかなか東京まで行く機会がありませんでした。
特に行きたくても行けないのが、沖田総司のお墓でした。
普段は非公開で、年に一度「総司忌」のみお参りができるのですが、その日にちに合わせて行く事もなかなか難しかったです。

最初に東京に行った時は、お参り出来る日ではなかったので、塀からお参りしました。
初めて、墓前でお参り出来たときは、感激でした。
ゆっくりお参りしたいのですが、多くのファンの人もお参りされるので、なくなく墓前から離れました。
それでも憧れの沖田さんに会えて幸せでした。

そういえば…。
昔、何十年前かも知りませんが、大阪のテレビ“探偵ナイトスクープ”(今は全国放送されています)で、沖田総司のお墓を見たいと、ヘリコプターを飛ばして上空から見たとか、見なかったとか…。
そんな噂も耳にした事があります。
私なら、京都の「人斬り新兵衛」のお墓を見てみたです。


沖田総司伝私記沖田総司伝私記
(2007/03)
菊地 明

商品詳細を見る
コメント
この記事へのコメント
沖田総司の名に引かれて、やって来ました。
沖田総司の墓、一度、訪れたのですが、やはり、塀の外からお参りしました。
命日に墓前でお参りできたのですね。
うらやましいです。
2008/06/28(Sat) 08:15 | URL  | 桃源児 #-[ 編集]
桃源児さんへ

コメント、ありがとうございます。
ここ数年は、総司忌にお寺に行けずにいます。
1年間に1日も公開されないお墓も多くあるので、1年に1度でもお参りできる沖田総司さんの場合は、喜ぶべきなのでしょうか?
いつか墓前でお参りできるといいですね。
2008/06/28(Sat) 15:13 | URL  |  #-[ 編集]
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック