スポンサーサイト

--年--月--日
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

妙法院-七卿落ち跡

2008年07月10日
七卿落ちの跡として妙法院(京都府京都市東山区妙法院前側町447)があります。
妙法院1  妙法院2
文久3年8月十八日、薩摩・会津など公武派による巻き返しにより、朝廷内急進派公卿と、長州藩士は京を追われる事態となりました。
三条実美(27)
三条西季知(53)
東久世通禧(31)
壬生基修(29)
四条隆謌(36)
錦小路頼徳(27)
沢宜嘉(28)
らは、長州藩兵、御親兵とともに妙法院に入り、会議を開きました。
その結果、攘夷実行の機会まで、長州に下ることとなりました。
翌朝雨の中を、蓑笠をまとい長州兵400余名に守られて伏見へと向かいました。
写真で見る維新の京都より

妙法院は通常拝観禁止ですので、特別公開の時にしか拝観できません。

京阪電鉄の京阪七条駅から東に約700mのところにあります。
京都国立博物館の裏という位置です。
近くには“三十三間堂”(妙法院が管轄しています)、“養源院”、“智積院”(ここは土佐藩関係で後ほど書きます)、“方広寺”(天誅組関係&徳川家康がいちゃもんを付けた鐘で有名)などがあります。

拝観できないので、境内は静かな様子でした。
「門跡」というだけに、七卿には馴染みの場所だったのかもしれません。
関連記事
Comment

管理者のみに表示

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。