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尾浜八幡神社 伝名月姫の墓

2016年12月11日
尾浜八幡神社(兵庫県尼崎市尾浜町1丁目4-27)には、名月姫の墓といわれるものがあります。

尾浜八幡宮

名月姫1  名月姫3

名月姫2


創立沿革は明らかでないが、当地尾浜の歴史とともに古く、天正年間に荒木村重滅亡のときの戦火に罹ったのではないかといわれる。現在の社殿と社務所は昭和47年に新造されたものである。旧時(律令時代)は、神仏混淆で、境内に大日堂が建っていた。現在、名月姫の塔(宝筐印塔)が当地境内にあるのは、その名残である。

尾浜宝筐院塔(伝名月姫の墓)
石質は花崗岩であって、相輪がなくなっていますが、傘の部分の頂上までの高さは、1.1mあります。
基礎石には、伏蓮華をほどこしています。
塔身の凡事は摩滅していますが、四隅の突起は完存しており、総体には装飾的な彫刻はみられません。
創建の時期はつくり方からみて鎌倉末期t考えられています。
名月姫と塔との結びつきは「円福寺大日如来之由来」に、名月姫が久安2年(1146)の8月15日、満月の夜に誕生しましたので名付けられたと記されています。
姫が14歳の時、野勢の藤兵衛実包に奮取されたという物語があり、彼女は今中将姫の化身としています。
この話と塔との年代差はかなり開いてきます。
また「摂津名所図会」に「尾浜村大日堂あり、この寺は名月姫の菩提所なり。また七松に名月姫の父三松国春の古弟あり」とみえますが、詳しい結びつきは不明です。
現地説明板(尼崎市教育委員会)より

名月姫伝説
約856年前の平安末期、今の尾浜町に才知、徳行に秀でた豪族、三松刑部国春が住んでた。
40歳になっても子供に恵まれず、京都・鞍馬山にこもって祈り続けたところ、久安2年8月15日、玉のような女の子が生まれた。
旧暦のこの日は、ちょうど中秋の名月で、国春は名月姫と名付けた。
成長するにつれ、その美しさは光り輝き、14歳の春、大阪能勢の豪族、蔵人家包に略奪されてしまった。
悲嘆にくれた国春は出家、諸国行脚しているうち、平清盛の手の者につかまり、港を築くため人柱にささげられることになった。
ある夜、一人の翁が名月姫の夢まくらに立ち「われは大日如来なり。そなたの父の命が危ない」と告げた。
姫は現地に急ぎ、涙、涙で助命を嘆願すると、清盛の寵臣がそのけなげさにうたれて身代わりとなり、姫は父とともに帰郷、大日如来をまつる寺院を建て平和に暮らしたという。(『立花志稿』による)
現地説明板より


こんな所にあったのかぁ。
ここ数週間、この横の道を通る用事があり、何度か通っていました。
そんなある日、ふと横を見ると、名月姫公園と書かれていて、さらに名月姫伝説の説明がありました。
「えっ」っと思わず止まってしまいました。
その日はカメラを持っていなかったので、次の時にカメラを忘れずに持ってっこなければと思いました。

家に帰って調べてみると、横にある神社内に名月姫の墓があるとのこと、それがこの写真です。
尾浜八幡宮の北東隅にあります。

塔は鎌倉末期時代のものだそうですが、鎌倉末期を1300年代ごろとしても、700年前後はここに建っているという事なんですね。
鎌倉、室町、安土桃山、江戸と考えただけでも、長い年月この地にあった塔なのでしょう。
いったいどんな出来事を目撃してきたのでしょう。

この墓が名月姫の墓である確率はゼロに近そうですが、名月姫は本当に実在したお姫様なのでしょうかね。
名月姫が実在したとして、略奪されて結婚させられたり、人柱にされそうになったりと、波乱万丈な人生で大変そうです。
どんなに美しい姫だったのか…、写真でもあれば見てみたいです。もちろんないけれど(笑)

この神社の近くの和菓子屋には名月姫というお菓子があります。








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