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塚口城跡 正弦寺

2016年07月08日
正弦寺(兵庫県尼崎市塚口本町1-12)は南町門跡からすぐの所にありました。

正玄寺4  正玄寺2

正玄寺3


尼崎地方の一向一揆は、塚口御坊が中心であったとしるされています。
この御坊は、応永16年(1409)に性曇上人が建てたと伝えています。
性曇上人が尼崎に来たとき病気になり、1ヵ月余り滞在しました。
このとき入信した祐信が発起人となって、上人の許しをえて堂舎を建てたのが塚口御坊となりました。
そののち、細川勝元と山名持豊とが応仁2年(1468)に争ったとき、広根(川西市)の最徳寺、多田(川西市)の光遍寺、箕輪(豊中市)の超光寺の3ヵ寺が塚口御坊を警護したともいわれています。
塚口御坊が河辺郡、豊島郡、能勢郡の末寺や道場などで組織した一揆の中心になっていたことを物語っています。
塚口御坊が方2町(約200m四方)余りの境内のまわりに土居(土塁)を巡らし、さらに堀を巡らして戦国時代の城の構えを備えていました。
そのために塚口城ともいわれています。
ここが城として用いられたのは織田信長と荒木村重との戦いのときです。
塚口御坊の壊滅後は正玄寺がその跡を引き継いでいます。
尼崎市教育委員会 現地説明板より


南町門跡から北に歩きます。
とりあえず、どこからでもいいので北側にある、広い道にでます。
その通りに、お寺の塀が見えます。
そこです!

現地にある説明板を見て思ったのは、塚口城って中心(天守閣的なもの)はここ?
正玄寺はのちに建立されたとしても、塚口御坊はここにあったということですね。
荒木村重との戦い(有岡城の戦い)での総大将は織田信長というのを読みました。
もしかして織田信長もここに来たのでしょうか?
各部隊長も来ているのですよね。
それは誰だろう?

なんだか大物歴史的人物が来ていて驚いています。
もしかして近畿(京都は除く 笑)で史跡巡りをしようとしたら、幕末より戦国で巡ると大物に出会えるの?
ある程度幕末は巡ったので、戦国を考えてみてもいいのかも…。
もちろん新選組はこれからも探していきますよ。





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