塚口城跡 南町門跡

2016年07月07日
塚口城 南町門跡(兵庫県尼崎市塚口本町1-18)です。

塚口城跡(兵庫県尼崎市塚口本町1丁目)に行ったあとに、

塚口城は「塚口寺内」ともいわれるように、最初、寺内町として発展しました。
応仁の乱の時、塚口御坊を中心に一揆衆が立て籠もり、寺内の周囲に土塁と環濠をめぐらせ、一つの防衛施設を形成させました。

天正年間(1573~92年)に、この施設を武将が軍事目的にのみ利用した期間があったため、現在ではこの遺構を一般的に「塚口城」とよんでいます。

塚口御坊が約200m四方の土塁および水堀をめぐらしたのは、いつ頃であるか明らかではありません。
天正6年10月21日、荒木村重が織田信長に背き、有岡城に籠もった時、塚口寺内を有岡城の出城に使ったと「尼崎市史」記されています。
しかし、村重軍はすぐに塚口城を引き揚げ、代わって信長側の有岡攻城軍がここに駐屯しました。
天正7年12月13日に有岡城が落城し、塚口城は軍事目的からは廃されました。

塚口城の総構えは「尼崎市史」によると、南北216m・東西261mで、城門は4ヶ所。
北町門・東町門・清水町門・南町門とよばれていました。
城門付近の土塁は脚99m、高さ4.5mであり、他より一段と大きく、櫓台が設けられていたものと思われる。
明和3年頃から、村総囲いの土塁が崩壊して屋敷に流れ込むようになり、土塁の撤去が開始。
現在、ほとんど遺構がみられなくなっている、ただ、城跡北部と東部の水堀の一部と3ヶ所の門跡(北町門・東町門・清水門)付近の土塁だけが、往時の名残をとどめています 。

と、「塚口城」について「日本城郭大系/第12巻/大阪・兵庫編・新人物往来社・昭和56(1981)年発行」で紹介されているというのをしりました。

じゃぁ行かないと!!
ということで、城門跡に行ってきました。

南町門跡の祠1

南町門跡の祠2  南町門跡の祠3

地図を見てもよくわからなかったので、とりあえず行ってみました。
阪急電車沿いの道を行き、公園の横の細い斜めの道を入ってみました。
一か八か。
大勝負。
って感じです。
細い道を入って、少し開けた十字路まで来たときに、ありました!
祠が見えました。

住宅街の一角にポツンと建っていました。
ここに塚口城の城門があったのか~。
いまひとつピンっときません。
言ってみれば祠があるだけですから、何も知らなければ、昔から祠があって神聖なものであるから宅地開発されても動かさずにある、というふうにしかみえません。

祠の横には、石塔の一部のような石が数個ありました。
この石は塚口城に関係にあるものなのか、祠の横にある石仏に関係のあるものなのか…。
置かれている場所的には、祠の中なんです。

ここにあったという城門を誰がくぐったのか気になります。

次は正弦寺が見つかりました。









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