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常願寺跡・厳島神社跡

2016年06月10日
常願寺跡(兵庫県尼崎市下坂部2丁目)を覗いてきました。

常願寺跡2  常願寺跡1

常願寺跡4

真雅僧正が諸国行脚の途中で下坂部に立ち寄り、一夜林間の石上に眠った時、夢に吉祥天女が現れて告げるとともに村民も霊夢によって帰依するもの多く、また百済伝来の吉祥天女の木像を贈るものもあった。
そこで僧正は下坂部の地に安生山常願寺を建立したといいます。
真雅僧正が大伽藍を建立し、後に西明寺時頼(北条時頼)がこの寺に一泊した時に大修理を加えたとも伝わります。
が、天正年間に兵火にかかり、小庵を残すのみになりました。

江戸時代の元禄5年に下坂部村の庄屋・年寄が幕府に提出した書類には、「桁行二間半、梁行二間半」の曹洞宗常願寺と号する吉祥天女の堂があり、また末社として弁財天の小社が祭祀されていたと記録があります。

真雅僧正とは、平安時代前期の真言宗の僧で、空海の弟にあたる僧のことを指していると考えられます。
真雅は空海の十大弟子のひとりでもあり、清和天皇の誕生以来の護持僧で、天皇とその外祖父である藤原良房から厚い信任を得て清和天皇の御願寺である貞観寺の開基となっています。
そして貞観寺僧正とも称されたところから下坂部常願寺の開基に擬せられたものとみられます。

弁財天社は境内社として社殿・鳥居・周濠を備えていて、後に厳島神社に改められ、明治42年に下坂部村の鎮守社である伊居太神社に合祀されました。
常願寺は大正6年に廃寺となりました。
尼崎市百物語より


ここの行き方は難しいです。
地元の人なら、「あ~、あそこね」となるのでしょうが、初めての人に教えるのは難しい…。
JR神戸線尼崎駅から阪神バス(旧尼崎市バス)に乗って、城ノ堀というバス停でおります。
バス停を2mほど戻って、横の路地を入ります。
まっすぐに進むと幼稚園にぶつかります。
幼稚園の正門の方向に進むと、門を通り過ぎた角に駐車場があります。
そこは三叉路で、その角が常願寺跡になります。
今は、奥に福祉会館が建っています。

碑も説明板の後ろにあり、隠れてしまっていて何だろう?と見ないとわかりません。
なんだか物悲しいな…。
説明を読む限り、立派なお寺があったようです。
北条時頼が宿泊したりしていますものね。

天正年間の兵火って、織田信長の尼崎焼き討ちとか…。
幕末関係で探していたときは、ほとんど尼崎の地名は出てきませんでした。
ところが戦国関係だと意外と尼崎が多いので驚いています。

荒木村重の居城が近くにあったからかな?
織田信長、池田恒興、豊臣秀吉、佐々成政、明智光秀、柴田勝家、丹羽秀長 等々有名な武将が尼崎に来てるんですよね。
では、幕末関係者で尼崎に来たのは…有名人では誰だ?
パッと出てきません。
残念です。

とりあえず、戦国武将と同じ空気を吸っているという事で!









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