武田勝親墓

2016年06月02日
武田勝親墓(兵庫県尼崎市東園田町1丁目105-2)が善念寺にあるそうです。

武田勝親墓1  武田勝親墓3

武田勝親墓6  武田勝親墓5


武田 勝親(かつちか)
天正8年 - 天和2年6月19日は戦国時代の武将・僧。
甲斐武田氏の家臣。武田氏当主・武田勝頼の三男。
『甲斐国志』では勝頼の三男であったことから初名が「勝三」であったとし、幼名であるとも考えられています。
勝千代。実名は「勝近」とする説もあります。
『系図纂要』によれば、通称は左衛門。 号は「善悦」。

天正10年3月、織田・徳川連合軍の武田領侵攻により、父の勝頼や異母兄の信勝は天目山で自害しました。
『甲斐国志』『系図纂要』によれば、勝親は家臣の栗原氏に救出され、大菩薩峠を越え鎌倉へ落ち延びたといいます。
『系図纂要』には「又還住」と記されていることから、武田氏滅亡・天正壬午の乱を経て甲斐へ帰国していた可能性も考えられています。
『摂津名所図会』では勝親を救出したのは栗原左衛門尉で、醍醐寺密経院の配慮で富田村へ移り、大坂城へ入城して織田信長と戦ったとされているが、これは誤伝であることが指摘されている。

その後、『甲斐国志』『系図纂要』によれば摂津国尼崎藤田村(兵庫県尼崎市)へ移り、「善悦」と号して浄土真宗本願寺派の僧となったという。
『系図纂要』では天和2年(1682年)に享年103で死去したとしています。

『摂津名所図会』によれば勝親は富田村に善念寺を創建し、善念寺には江戸時代の供養塔があります。
Wikipediaより


阪急電鉄神戸線園田駅から武田勝親の墓に歩いていきます。
駅の北側に出ます。
駅前の信号を渡り細い商店街を北に向かってず~っと歩きます。約700m。
広い道路に出ます(内環状線)。
道を渡らずに東側(右側)に曲がります。
また700mひたすらまっすぐ歩きます。
利倉西町交差点を越えて、次の細い曲がり角が墓地の一角になります。
この付近は大阪府との府県境でもあり、尼崎市と豊中市との市境でもあるので、途中豊中市になっても大丈夫です。

私が行ったときは、草や木の葉が生い茂っていました。
数基お墓があります。
武田勝親墓は道路の方を向いているので見えました。
お寺の墓地なので、門があり入れないので塀越しに見てきました。

正直、初めて名前を聞く武将でした。
103歳まで生きたというのなら、現代でも長寿です。
戦国時代で103歳って今以上にいてなかったでしょうね。

この辺りは静かであまり人も歩いていませんでした。
なので余計に塀越しにお墓を見ている私は不審者っぽかったかもしれません。
幸い塀は低めで、門の格子の隙間から中が見えたので良かったです。
戦国ブームではないのですか?
戦国ブームならせっかく武田勝頼の子供の墓があるのですから、もっと大々的に世間に広めて、みんなにお参りしてもらうのは勝親さんがいやがるかな。
せっかく静かに眠っているのにね。





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