丹波篠山城 弐 青山忠誠公追慕碑

2015年04月26日
丹波篠山城内に建っている、青山忠誠公追慕碑です。

丹波篠山城7  丹波篠山城6

青山 忠誠】(あおやま ただしげ)
安政6年2月19日- 明治20年7月23日
篠山藩第5代藩主青山忠良の十男で、明治時代の華族(子爵)。
陸軍軍人で数少ない華族出身の将校の1人。

幼名鋪之丞、環峰と号しました。
室は土屋寅直の娘。
養子に青山忠充(ただこと、弟青山忠惇の子)。

江戸で生まれ、明治6年に兄の青山忠敏が没し嗣子がないため家督を継ぎました。
陸軍幼年学校、明治13年に陸軍士官学校(旧3期)を卒業。
明治17年、子爵となり、明治18年陸軍歩兵中尉となります。
明治20年、29歳という若さで没す。
明治25年11月7日、正四位を追贈されました。

明治9年12月忠誠は、旧藩士の子弟教育の為に旧臣安藤直紀らに命じて私立篠山中学年舎をつくりました。
この際、福沢諭吉に相談をし紹介により講師も招いています。
明治10年1月これを篠山城内堀内令順宅を5000円の私財を投じて購入して拡張し「私立篠山中年学舎」と改称しました。
明治11年に公立篠山中学校となり、明治16年に校舎が全焼する事態に見舞われましたが、旧篠山城内堀内令順第2家宅を購入し再建しました。
明治17年、中学校設備規則発布により廃校の方針となった為に、忠誠ほか基金も募り、明治18年8月に許可を得て私立鳳鳴義塾とし存続をさせました。
また、東京にも進学の為の寄宿舎尚学館をつくり優秀な者は遊学させました。
忠誠の死後、志は養子の青山忠充が継ぐこととなります。
Wikipediaより


お殿様ではあるけれど、私が思うお殿様ではないのですね。
お城に住むお殿様って事ですけれど…。
家督を継いだのが、明治になってからなので、幕末のお殿様ではなく、新しい時代に変わってからの家長なんですね。

でも安政生まれなので、幕末に生きた人ではあります。
教育に熱心な人だったんですね。

青山忠誠とう名前は初めて聞いたので、写真をパチリ。
私の興味のストライクゾーンからは少し外れていたので、ご紹介で終わります。







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