大坂城 豊臣秀頼 淀殿ら自刃の地碑

2015年04月24日
大坂城にある、“豊臣秀頼 淀殿ら自刃の地”碑です。

大阪城4  大阪城3

慶長20年の大坂夏の陣では、旧暦5月8日、徳川軍に追い詰められた豊臣秀頼とその母淀殿が、山里丸にあった櫓にひそみ、自害したと多くの記録が伝えています。
それにちなんで平成9年、現在の山里丸の一面に大阪市の手によりこの記念碑が建てられた。
現地説明板より

墓所は京都市東山区の養源院、大阪市北区の太融寺。
戒名は大虞院英厳大禅定尼、大虞院花顔妙香、大広院殿英嵓と伝わります。

しかし淀殿の最期を目撃した者の証言や記録などは存在せず、また遺体も確認されなかったため、秀頼と同様に彼女にも逃亡・生存説などの伝説が生まれるようになりました。
落ち延びた先としては薩摩や上野に伝承が残っています。
Wikipediaより


天守閣前の広場から、大阪城ホール方面に降りていきます。
天守閣の裏側方向です。
市内から出土したさまざまな刻印石が集められた刻印広場を通りすぎた奥に、ひっそりと建っていました。
たまたま、その周辺が工事中でひっそりに見えただけなのかな。

茶々が淀というのは、実は大人になってから知りました。
茶々という響きは可愛いと思うのですが、淀殿というと厳めしい感じがするのは私だけ。

しかし戦国時代の、しかも歴史の中心で生きる女性だと、それぐらいキツイ性格でないと生きて行けなかったのでしょう。
性格がひねくれても仕方がないでしょうね。
ただし、今の世の中でこの性格だと、クレイマーとかモンスターペアレンツとかになっていそう。
あっ、意外と政治家(ただし、善政に限る)には向いているかもしれないですね。

そして淀殿といえば、
「天正17年、捨(鶴松)を生む。この懐妊を喜んだ秀吉から山城国淀城を賜り、以後「淀の方」と呼ばれるようになった。」(Wikipediaより)
の淀城に関連する、京都市伏見区の妙教寺がありますが、この妙教寺は幕末に大いに関係するお寺なのです。
2008年10月22日のブログ参照してください。









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