新選組&幕末 ばんざい!!

新選組を中心に歴史の舞台を巡ります

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堀川改修工事碑

堀川改修記念碑(福井県小浜市日吉)というのがありました。

堀川改修記念碑 

小浜市日吉のマーメイドテラスから国道27号線へ向かう広い通りは、30年ほど前まで川が流れており、河口近くには小舟が係留されたりしていました。
そこは江戸末期に造られた人工の河川で、「新川」または「堀川」と呼ばれました。
現在も道路の下に水路があります。

新川が開削されたのは、安政6年。
小浜では、幕末の7年間に3度もの大火があり、嘉永4年正月に382軒、嘉永6年3月に2400軒余、さらに5年後の安政5年8月には1805軒を焼き尽くしました。
新川は、連続大火の後、延焼を防ぐための火除け地として、また消火用水確保のために設けられたものです。
工事は、町奉行・武久権十郎の支配のもと、安政6年2月に始まり、当時数々の土木作業に功績のあった重田卯右衛門がこれを取り仕切りました。

後瀬山から発心寺脇を流れ下る杓川を水源として、川上から掘り始め、上流は素掘りで幅約1.8m、町なかでは幅約4.5m、のり面を2段にした石垣の護岸を設け、その年の冬に完成しました。
これを通すために、幾棟もの蔵を移動し、民家を取り壊しています。
川床には数カ所、消火用の水をためる深い部分と、川面に下りる階段が設けられました。
工事の進展に伴い、新川を渡る3本の橋<上流から神田橋、住吉橋、日吉橋>が有力町人の寄付で架けられました。橋は最初、土橋や板橋だったのが、その後架け替えられ、鉄製やコンクリート製に変わりました。
住吉橋のたもとには火の見の半鐘がありましたが、昭和初期にバスを通すため、護岸を2段から1段にして道幅を広げた時に撤去されました。そのころ、川べりには柳が植えられて風情があったそうです。
その後、年月を経て護岸の石垣が崩壊するおそれがあったことなどから、小浜市が昭和46年から5年かけて「堀川都市下水路整備事業」を実施。
水路を暗渠にして、上を道路にしました。以来30年近くが過ぎ、今ではこの大通りがかつて川だったことを知らない人も多くなりました。

マーメイドテラスの下をのぞくと、地下に水路があるのが分かります。
人魚像の近くにある「堀川改修記念碑」の土台石は、歴史を伝えるために、護岸の石を移したものです。
神田橋のたもとにあった欄干の石柱は場所を移動して、今も歩道脇に立っています。
関西電力HPより


ホテルから海を見に散歩に出た時に、偶然見つけました。
よく判らなかったのですが、“嘉永”という幕末の年号があったので、いつもの週間で写真をパチリ。
幕末の事業の話でした。
あ~良かった(笑)






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実は二重になっているので、
後ろにも本棚が…。

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