スポンサーサイト

--年--月--日
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

浅利又七郎邸跡

2013年04月07日
浅利又七郎邸跡(福井県小浜市一番町)です。

浅利又七郎2  浅利又七郎1

浅利又七郎
浅利義信(安永7年3月29日)-(嘉永6年2月20日)
日本の剣客。
中西派一刀流。
通称、又七郎。

下総国松戸の生まれで、江戸の一刀流中西道場第3代の中西子啓に学びました。
同門に寺田宗有、白井亨、高柳又四郎がいます。
突きを得意とし、若狭国小浜藩江戸屋敷の剣術指南を勤めました。

義信の姪で養女のかつと結婚した千葉周作が道場を継ぎましたが、組太刀の改変をめぐって義信と周作は衝突を起こしてついに物別れとなり、周作夫妻は義信から独立して北辰一刀流を興すこととなりました。
主を失った浅利道場を守るため、義信は新たに中西家から義明を養子に迎えました。

義信の弟子に遠藤五平太がいます。
Wikipediaより


雲城水の横に建っていました。
碑があったのかな?
この看板だけしか見ませんでした。
でも、看板の後ろに碑らしきものが写っていますね。

浅利又七郎を知らなかったのですが、千葉周作と関係があるのですね。
千葉周作の北辰一刀流は、坂本龍馬で有名(龍馬は千葉周作の直弟子ではないですが)。
新選組にも北辰一刀流の隊士もいてますし、遠からず縁があるって事ですね。
嬉しい!って事にしておきましょう。

千葉周作の話は詳しくなかったのですが、喧嘩別れで北辰一刀流を興したのですね。
ん~、ちょっとイメージが違った(笑)
でも、これだけ立身出世したのであれば、喧嘩別れも正解ですね。
ただ浅利又七郎はショックだったでしょうね。
この時代のこのような出来事はよくある事だったのかもしれないですが…。










関連記事
Comment

管理者のみに表示

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。