藩校順造館門

2013年03月27日
梅田雲浜も学んだ、藩校順造館の門(福井県小浜市千種1丁目6-13 若狭高校正門)です。

順造館門1  順造館門2  順造館門3
     藩校順造館門

もとは小浜城の大手橋付近に建てられていました。
明治5年10月から小学校に、明治14年から大正15年まで郡役所として使われていました。
現在は若狭高校の正門です。


※若狭高校の正門(順造館門)を入って右側には、伴信友誕生地碑があるそうです。
伴信友
江戸時代の国学者です。
幼名は惟徳。通称は州五郎。号は事負。

博覧強記で、古典の考証に優れていました。
平田篤胤、橘守部、小山田与清とともに、「天保の国学の四大人」と呼ばれる。

若狭国小浜藩士・山岸惟智の四男として生まれましたが、1786年(天明2年)、同藩の伴信当の養子となりました。
1801年(享和元年)村田春門を介して本居宣長没後の門人となり、宣長の養子の本居大平に国学を学びました。
1821年(文政4年)、息子の信近に家督を譲り、以後、学問に専念。

平田篤胤、黒川春村、本居内遠などと交流があり、篤胤からは君兄と慕われていましたが、後に齟齬を来して決別しました。
師弟関係を好まず、弟子をとることはありませんでした。

1846年(弘化3年)、京都の堀川で死去。
Wikpediaより


若狭高校という大きな目標があるので、こちらはすぐにわかりました。
梅田雲浜生誕地からすぐの所です。
5分ぐらいでいけるのでは?

土曜日という事もあってか、学生さんがいなくて(クラブなどはされているようでしたが)ゆっくりと出来ました。
正門ということは普段は使われているのでしょうか?
それとも数メートル先に門があるようだったので、そちらが使われていてこちらは閉じられているのでしょうか?
でも歴史的な門を潜って毎日勉強…羨ましいような…でも、勉強はできればしたくないかも…(苦笑)
もちろん勉強嫌いは私の事です(笑)

たぶん普段から身近にあるものだから、ここの学生さんたちは特に感慨深くもないのでしょうね。
私の家の近くにも世界的(?)日本では誰もが名前を知っている有名な歴史的人物のお墓がありますが、普段は忘れていますからね。

この門ですが、立派です。
京都の岡崎公園にある“京都守護職屋敷の門”は武家屋敷の門ということでしょうか重厚感がありましたが、それにくらべると威圧感はありませんが、歴史を感じさせてくれる立派な門でした。






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